ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

至福の時。蘇る懐かしの道具たち

早いもので明日から5月。ようやく細かいところまで作業の手が回るようになってきた近頃。

本震の際の強烈な揺れでも家財被害は大きく、増してその後に押し寄せた津波によって、テレビや冷蔵庫、エアコン等の大型家電や車に至るまで使用不能となった「震災廃棄物」は被災地では決して少なくない。

又、強烈な揺れに耐えきれずホルダーごと吹っ飛んだ際に破損した我が釣り竿も数知れず。

私にとって釣り道具は己の人生をかけた商売道具でもあるが、長らく大事にストックしてきたルアーやフック、シンカー、ラインなどの多くも水没したために半数以上をやむなく廃棄しなければならなくなったのもまた現状なのである。

それでも、しっかり汚れを落とせば元のように使える物は、再び第一線の舞台で存分に活用したい。

「汚れたから」といって割り切って捨てるのは簡単だが、これまで苦楽を共に乗り越えてきた道具達には愛着という次元ではなく、少なからず私の魂そのものが宿っている。

簡単に捨てることは出来ないんですよね…。

ジグヘッドやオフセットフック、シンカーを収納するタックルケースを開ければ、案の定、悪臭を放つ濁った海水と錆々になった針やシンカーが出てくる。使用不能になったとは言え、自分が信念を持って作り上げた究極の釣り針を自らの手で廃棄しなければならない辛さ。心に重く突き刺さる。タングステンシンカーは真水に浸し、丁寧に洗い直せばまだいいにしても、ブラスシンカーは錆が進行して既に劣化。プロトのジグヘッドも再使用不能だ。それでも、まずは丁寧に洗い流すことから地道に作業を進めた。タックルケースを真心込めて洗い流す

 

 

 

 

 

 

それから釣り竿。画像の竿はもう15年来使ってきた私のカレイ竿。性能面では最新鋭の竿には及ばないかもしれないが、私にとっては宝物の一つ。近年、ルアーフィッシングの割合が多くなったために出番は減ってしまったが、元々私はエサ釣りから入門したこともあって、特に防波堤の探り釣り、投げ釣り、船釣りは大好きな釣りモノだった。中学の頃から愛用しつづけてきた、この古いカレイ竿が泥の中に埋まっていてもこの災害を共に乗り越えてくれたのには、何だかとてもうれしくなった。15年来使ってきたカレイ竿

 ローカル話で恐縮ながら、かつて鐘島水道、寒風沢水道、鰐ヶ淵水道といった松島湾でベッコウゾイの流し釣り(テンヤあるいは片テンビン仕掛けにエサのドジョウを掛けて誘う)を覚えたのもこの竿。(これが、後に私のロックフィッシュゲームに発展する。)

それから牡鹿半島の網地島や女川湾、志津川湾など沿岸の浅場で狙う「マコガレイのかかり釣り」で凄く好きだったのもこの竿。先調子、今で言う“ファーストテーパー”なのだが、コヅいた時の感触が抜群で、魚のアタリを“聞く”動作をマスターしたのもこのカレイ竿によるものだった。この手に染み込んだ“絶対感覚”はジャンルこそ違えど、エサ竿からルアー竿へ持ち替えた時にも、そして今現在も変わらず釣技の基礎となっている。

投げ竿に磯竿、ガングリップのバス用ベイトロッド、果てやGTロッド等々…泥まみれになりながらも、まだまだ出てくる年季の入った道具達を懐かしみつつ「また、これからもよろしく頼むよ」と丁寧に磨き上げたひと時は、釣り師にとって、何よりの「至福の時」なのかもしれません。

復興願う、浜の血筋

震災後、ようやく携帯の規制が緩和されると同時にひっきりなしに鳴り出す着信の嵐。その合間を縫ってこちらからも早急に連絡を取ったのは、宮城・岩手沿岸ご在住のゆかりのある船頭さん達だ。その中でも皆さんもご存じなのが、アイナメUNDER WATERシリーズの制作に尽力頂いた方々だろう。

宮城県牡鹿半島を舞台とした「アイナメUNDER WATER」の勝進丸船長・菊地柾彦さん、岩手県重茂半島を舞台とした「アイナメUNDER WATERⅡ」のさくら丸船長・木川信保さん、勢運丸船長・佐藤浩樹さんの3人の名船長達もご家族と共にご無事であったのは何よりだった。

菊地さんの「佐藤君、生きてだがっ!?」の第一声にはたまらなくうれしかったし、木川さん、佐藤さんに関しては地震後すぐに二人同時に沖出しし重茂沖の湾口100mラインで迫り来る津波を乗り越え、危機一髪で難を逃れた…と当時の状況を詳しくお話頂けた。この時、二人から3、4分遅れで沖出しした船は残念ながら共に戻ることが叶わなかったという…。

今回の大津波は東日本~北日本太平洋側沿岸の広範囲において甚大な被害をもたらしたが、その中でも岩手県重茂半島では時速115kmものスピードで、国内観測史上最大値となる38.9mの高さまで津波が駆け上がったとの報告がされている。海の水が約40m上まで駆け上っていくなど、まさに想像を絶する。木川さんのご自宅は、修復工事が完了してそれほど間もない重茂漁港の防波堤をも越えてきた大津波によって流され、仮設住宅が建つまでは今もなお不便な避難所生活を強いられている。それでも電話の向こうで「サド~さん、まだ重茂の海でおっきいアブラメ(=アイナメ)釣っぺし!!」と力強い再起の口調には、ただただ心が打たれた。

心身共にこれだけの被害を受けているのにも関わらず、海に生きる者達にとっての居場所ともいうか、帰る所は、やはり海なのだな…とつくづく痛感した。

四方を海に囲まれた島国・日本において、太古の昔から魚民がそうしてきたように浜の人間に宿る“血筋”とはこういうことなのだ。

人知を結集し投じられる防波堤や防潮堤が、迫り来る黒い魔物に成すすべなく粉砕し、集落ごと呑まれた三陸沿岸の被害の大きさは今も尚、計り知れない。これから復興までには長く、果てしない時間と労力を要する。しかし「三陸」が三陸たる由縁は、やはりその海にあるのも周知の事実。

再開し出したスーパーの鮮魚コーナーや魚屋から“三陸産”の魚介類が消えた今、改めてこの海からどれだけの恩恵を受けていたのか、痛いほどに私達は思い知った。

暖流と寒流がぶつかる三陸の魚はうまい。本当に旨い。

小さい頃から慣れ親しんだ味は、いくつになっても忘れないもの。

海に生きる者達が再び海を目指した時、私も彼らと共にこの海に戻る。

本州最東端の岬、岩手県重茂半島魹ヶ崎

 

 

 

 

 

 

 

…また一緒に釣りしましょうよ、船頭さん達。

でっけぇ~ネウとボイジョば釣っぺし。アブラメも、ばんばが釣っぺし。

群青色に光り輝く、俺達のこの海で。

踏み出す第一歩。ダブルウェーブに夢を託して

震災以降、日本全国、そして世界各国から様々な救助・支援の手が差し伸べられていることに大変感謝の気持ちで一杯です。

当プロズワン事務所近郊においても津波浸水により故障した不点灯の信号機に変わり、新潟県警、愛知県警の方々が見事な手信号で車の往来をさばいており、現在もなお不通となっているガスの復旧対策を大阪ガスの方々が大阪ナンバー・なにわナンバー・神戸ナンバーの車両を引き連れ、連日懸命な工事作業に当たって下さっている。

本日すれ違った、道を急ぐ救急車も遥々鹿児島県から支援に駆けつけてくれた部隊だった。

一刻も早い復旧のために、そして一日も早い被災地復興のために総力を結集して日夜、皆それぞれが尽力している。今、この国が本当の意味で一つに繋がった。

一人、一人が果たさなければならない使命は個々それぞれだが、皆さんのその精力的な活動・展開には、ただただ感銘と感謝の念を唱えずにはいられない。本当に頭が下がる思いです。どうもありがとうございます。

昨日、ピュア・フィッシング・ジャパンWebサイト「ガルプSWダブルウェーブ3”」発売に関する声明文を発表した。

詳しくは同社のサイトをご覧頂ければ幸いです。

状況が状況だけに震災直後の一時は、その発売すらどうなるか気がかりで仕方なかったというのが本音でもあるが、北海道はじめ関東以南の多くのアングラー諸氏もダブルウェーブの発売を心待ち頂いているという状況を踏まえ、慎重なる審議の上に予定通り5月中に無事リリース出来る見通しがつきました。東北太平洋側在住の方々にとっては、しばしの辛抱とはなるが、それでも、この海はまだ終わってはいない。

その証拠に、この海には過去多くの大津波被害を受けながらも、そのつど偉大な先人達の努力により見事な復興を遂げてきた何よりの事実がある。

ダブルウェーブのリリースに至り、生みの親でありながら“自らの分身”とも言うべく、このワームを手に今すぐ最寄りの海へ出向くことが出来ないのは痛恨の極みではあるが、このワームに託した想いと、それに懸けた情熱を同志である全国のロックフィッシャー達、釣りファンの皆様方にお届けすることが出来たなら、当人にとってはかけがえのない第一歩なのです。

ダブルウェーブ、いざ発進!!!

 

 

 

 

 

 

 

私は、復興への第一歩をこのダブルウェーブに託す。

佐藤文紀の“魂”を乗せて、世に送り出します。

ダブルウェーブよ、未来の扉を切り開け。

思い出に浸る、穏やかな一日

白石川沿いに並ぶ、一目千本桜数日前から当地も天候が優れず、昨日は結構な雨の一日であった。一転して本日は清々しい晴天となり、実に春らしい一日。青く澄んだ空を見上げていると、自然と気持ちも高ぶってくるから不思議なものである。

前回のブログでは「今週末、天候が回復すればこちらの桜も満開を迎えそうだ」と記したが、本日も朝から片付けに追われ、気がつけば既にこの時間。無我夢中で作業を続けていると、一日の時間の流れがおそろしいほど早く感じてしまう。

景気づけに、どこか満開の桜を撮影しに行き、今日は桜の話題でも書こうかと思っていたが、ようやくひと段落ついたのも先程の事なので、昨年撮影した私のお気に入りカットを本日は掲載。場所は宮城県の県南に位置する「一目千本桜」。

「…ここは大河原町とその周辺を流れる白石川沿い約8kmに渡って、桜並木が続き、一目で千本の桜を目にできる、ということから“一目千本桜”と呼ばれている。1200本もの桜がトンネル状に並び、そのうち1/3は樹齢800年を超える巨木というのも特筆に値する…。」

と上記の文を昨年の「佐藤文紀コラム108」に書き記したので、当コラム読者の方であればご記憶の方も多いのでは―。

約8kmに渡る桜並木だが、個人的にとりわけ好きなのはJR東北本線・船岡駅の辺り。

青と緑と淡いピンクのコントラストが実にいいですよねぇ。白石川の清々しい川の水面に映る淡い桜の木々と、ちょっとレトロさを醸し出す駅周辺の雰囲気がとてもマッチしていて素晴らしい場所で「あぁ…今年もまた行ってみたいな…」と桜の季節を心待ちにしていた折の被災につき、今年は行けるメドが立たないのが何とも残念。その変わりに、この春は昨年の写真を振り返ることで「実際に行った気分」に浸っている次第。

余談ながら白石川は阿武隈川水系の支流で、上流域はイワナ・ヤマメの渓魚をルアー・フライ・エサ釣り共に楽しめ、中流域ではアユ釣り、下流域(特に阿武隈川との合流地点周辺)は巨大なヘラブナの大群を多く目にする格好の釣り場。ここのヘラブナはホントにデカい。又、この下流域ではバスフィールドにもなっており、白石川の最下流部は、数はそれほど多くはないが時に単発ながらもデカバス(思いっきり見えてる個体が意外とデカかったりする)が定位していることがあり、2年前の秋にもバンク沿いを引いていたビッグベイトを追いかけて来たデカバスを上手くフッキングに持ち込んだまでは良かったものの、ランディング寸前にまさかの大ジャンプをくらいバラしてしまう…という我ながら悔しい想いをした場所でもある…(笑)。

穏やかな春の風を受けてそんなこともあり、この辺りは豊かな美しい自然と共に楽しい思い出が沢山ある場所で、またいつか千本の木々を見に、そして竿を振りに訪れたい場所なのである。

さぁ、今年も桜の季節がやってきた。

希望の花、ひらく時。

4月15日、仙台の桜が満開になったと報じられた。追って、石巻の桜も開花し出し、天候さえ回復すれば今週末にでも満開を迎えそうだ。釣りビジョンモバイルサイト「佐藤文紀コラム」読者の方であれば、昨春のコラムで紹介した仙台市「榴ヶ岡公園」と大河原町「一目千本桜」についての記事をご記憶の方も多いことだろう。共に宮城県を代表する桜の名所であるが、今回は無念にも両名所共に足を運べない状態なのが誠に残念。震災以降、毎日朝から日没まで後片付けに追われる日々であるが、毎日同じ事の繰り返し作業もいよいよ辛くなってきた先日、所要のついでに石巻の桜の名所の一つである「日和山公園」を久し振りに訪れてみた。 

―3日前。訪れた当日はあいにくの天候ということもあり、人は少なかったが、この公園の眼下からは旧北上川が海に注ぐまでの過程を一望に目にすることが出来る。海側に目を向ければ左に牡鹿半島や田代島。右は松島の方まで広く見渡すことが出来、当地では言わずと知れた憩いの場所。しかし今年は違った。雨に濡れながらも五歩咲き~八分咲きの桜が間もなく満開の時を迎えようとする一方でその眼下に広がる光景は、先の大津波によって破壊されたかつての名残惜しい街並みの姿があった。

日和山より眼下を望む                 

 

 

 

 

 

無惨に変わり果てたその姿は、一瞬、ここがどこの地であるさえ分からなくなるほどのもので、いまだ行方の知らない方々の捜索と共に瓦礫撤去のために稼動している複数の重機音が、雨の日和山を包んでいた―。

つい先日、私の親戚の一人もこの眼下に広がる瓦礫の中から、変わり果てた姿で収容された。

自衛隊をはじめとする方々の懸命な捜索活動が以前続く中、その想いむなしく発見に至らない場合も多い状況にあって、残念な形ではあるがその姿だけでも無事収容されただけで私にとっては、もう…十分だった。 私は改めて手を合わせ、目をつぶった。いや、この光景を目にするに際し、手を合わせずにはいられなかったというのが本当のところ。

日和山に立ち、北上川を見つめる川村孫兵衛像岩手県を水源に宮城県で海に注ぐ東北屈指の大河・北上川はかつて仙台藩の藩主・伊達政宗の命により川村孫兵衛の尽力によって治水され、今日に至っているとされている。その功績を称えた彼の像がこの山には立てられている。旧来から多くの自然の恵みを、人々の営みを育んできたこの北上川にあの日突如押し寄せ、川を遡上しながら街を容赦なく呑み込んでいったドス黒い濁流をもし彼が目にしたとしたら、この惨状を前にいったい何を想うのだろうか…。

 

冬が終焉を告げようとしつつも、まだ肌身に残る冷雨に濡れる川村孫兵衛像とそれを囲むように立つ桜の木々は、かつてない悲壮感をただただ受け止めるだけで精一杯なのではないかとさえ思えてきた。それでもこれから花、開こうとしている一輪の桜のつぼみには“生命の強かさ”があった。希望の花、ひらく時。この淡く小さな希望が、やがて大きな胎動となり再びこの地に穏やかな日常が戻ることを心に、今、私達・被災地も新たな一歩を踏み出さなければならない。

心に残る闇を抜け出せば、明るい春はもうすぐそこにある。

少なくとも私は、そう信じることにしよう。