ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

未来を切り開く勇気。その生き方、サケに学ぶ

北上川の未来を切り開いた男、川村孫兵衛の像(石巻市日和山)戦国時代を生き抜いた名武将にして仙台藩藩主・伊達正宗公の命を受けて北上川水系の治水に尽力した川村孫兵衛。

没後の今日もまた彼はこの石巻市を見渡す日和山から現代を生きる私達の母なる川を見守り続けている。

 

 

 

 

東日本大震災に見舞われた今年も残すところ、あと僅かで幕を閉じようとしている。

忘れもしない3月11日。宮城県沖を震源とする最大震度7(M9.0)ものとてつもない揺れが大地を激しく揺さぶった。続く巨大津波は我々人類の想像を絶するもので街と共に多くの尊い命を黒い濁流で包み一瞬にして飲み込んでいった。街が、人々の日常が全停止した。その後、間もなく東京電力福島第一原発の事故が加わり、更には同原発の爆発によって国内はおろか世界中へと拡散した放射性物質により、あらゆるものが侵され、そして今に至る著しい風評被害に東北の地は悩まされ続けた。まさに四十苦である。

自分の人生始まって以来、29年目の今年。生きながらにして私は地獄を見た気がしてならない。津波が引いた後、ガレキとヘドロの下に埋まる多くの亡骸。ドロまみれになって、傷だらけになりながらも必死に探すものの、いつになっても姿の見えない状況に私は絶望し途方に暮れた。涙が止まらなかった。運良く生き残れた身とは言え、この地と共に生きてきた人間ゆえに「あぁ…、私の人生もこれで決まったのか」とさえ思えてきた。

日和山より眼下を望む。下に見えるのは甚大な津波被害を受けた石巻市の南浜町本当に悲惨極まりない光景を見てきた。目をつぶっても、そのまぶたに深々と焼き付いた惨劇はとうてい消し去れるようなものではない。

建物は作り直すことが出来るが、一度崩壊寸前まで追い込まれた人の心はそう簡単に癒えるものではない。心の底からエグられるようにして傷ついた深手。この辛い悲しみと憎しみは、いつの日かの墓場までもっていくつもりだ。

2011年12月30日までの警視庁のまとめでは、この東日本大震災による死者数は岩手県4667人、宮城県9506人、福島県1605人で全国15844人。行方不明者数は岩手県1368人、宮城県1861人、福島県218人、全国で3451人となっている。

幸いにも今日まで生き残った私達も突然、その未来が奪われた。家族に自宅、仕事に日常のごく普通の平穏な生活があの日を境に奪われたこの想いは正直どこにぶつけてよいものか、いまだに分からない。

それでも犠牲者の鎮魂を祈り、人々の平和を願う私達の気持ちは変わることはない。

一歩踏み出す勇気、これからの人生を生き抜こうとする勇気。私達は亡くなった方々の分までその人生を全うしなくてはならない義務がある。

そして幸せになる権利がある。

生きるために、生きるのだ。

かつてアイヌの人々が神の魚と呼んだサケ。その生きざまには私達への道しるべを示してくれている気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

これからこの国がどうなっていくのか、東北がこの先どうなっていくのかは誰もが先行きの見えぬ不安にかられているのも確かだが、一人一人がその心を胸にとどめながら、いずれまた足並みを揃えて進んでいきたい。

目指す、ただ一点に向けてサケ達は川をのぼり続ける。

 

 

 

 

 

 

 

ご周知の通り、サケは4年後の秋を迎えると生まれた川へ戻ってくる魚だ。ちょっと専門チックに言うと「母川回帰性」という。自分の生まれた故郷に迷うことなく帰還し、次の世代へと繋いでいく。

私はこのサケという魚の生き方がとても好きで、見ていると力がみなぎってくる。

身体がボロボロに傷つきながらも、自分の目指す一点を目指して一生懸命前に進んでいく姿にこれほど感銘を受ける魚もいない。

かつてアイヌの人々はサケを「神の魚」、「神様からの贈り物」として捉えていた。

4年後の秋、サケ達は最後の最後までその命を全うしようとする。

 

 

 

 

 

 

 

古来より川と海を結ぶ神の魚は山に緑をもたらし、人々の暮らしをも支える貴重な存在でもあったわけだ。

時は変わっても今、私達に求められているのはこのサケの生き方なのかもしれない。

自分達の故郷を自分達の手で再生し、もう一度この地に人々が自然に集える場所にすること。

震災から半年が過ぎた頃。今年も母なる川へと帰還したサケ達が示してくれた“道しるべ”は果てしなく大きい。

厚い雲の間から、希望の光が差し込む。私達はあきらめない、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

2011年は復旧の年。そして明日から始まる2012年は復興の年となる。

 どうか平穏で静かな日々の暮らしが一日も早く訪れますよう、そして来年はすべての皆さんが明るく楽しい出来事が一つでも多くありますこと、心よりお祈り申し上げます。