ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

北の大地を釣り歩く。(7)

その後は小型のホッケが数匹チェイスしてきただけだったが、このあたりで海アメを狙うには少し時期が遅いものの岩内港の中で海アメが出たくらいだから「島牧に行けば良型がもう少し残っているかも…」と淡い期待を抱いてしまった。

早速、この釣り場に見切りをつけて島牧サーフ(島牧村)目指して南下していたところで雑誌カメラマンから電話が入る。「仮に明日がまた悪天候でダメなら雑誌の原稿締切日に間に合わなくなるので、場所を変えて取材出来る所でやりましょう。何とか明日中に“一発”ドカン!とお願いします。」とのこと。

いやぁ~まいった。でも何とかせねば。とりあえず、タックルの入れ替えや準備もあるし、まずはベース拠点に戻らなくては。

風が強いのが難点だが、寿都のサーフは解放感に溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

結局、出版社とカメラマンを交えた打ち合わせの結果、行き先は留萌に決まった。積丹半島は相変わらず風が強いが留萌方面は風が夕方から収まり、今夜には海も静かになる予報らしい。

カメラマンが宿泊ホテルのロビーに夜10時に迎えに来てくれることになった。

きっと、今夜は徹夜コース決定だなとその時点で悟ったが…現在地は寿都。島牧まではもう少しの距離だが、宿泊拠点となっていた余市からだと、かなりの距離を南下していたため時間的に島牧まで行ってまた戻ってくるには必要以上に時間がかかり過ぎることから断念。ならば、このあたりのサーフで「せめて30分だけ!」と決めて竿を振ったが、他の釣り人誰一人いない広大なサーフは終始、無言を貫いたままだった。

寿都サーフにて。向かい風の中、逆風を切り裂きメタルジグをカッ飛ばす!!

 

 

 

 

 

 

 

それでもやりたい釣りができたので、個人的には満足。             

また来年、次は本腰を入れて海サクラを狙いに行きたいものだ。

 

ということで、12時間に及ぶトラウト探しの旅を終了し、いったん宿に戻ったのもつかの間、そのままカメラマンが迎えに来て下さり、取材内容の確認とミーティング後、夜10時から3時間以上の移動時間を経て留萌へロックフィッシュ取材に向かった。

結果はご覧の通り、55cm/3.2kgを筆頭にモンスターサイズのクロソイを入れ食いさせる空前の大爆釣劇を演じた。一発どころではなく50UPも複数、45UPならボコボコに釣りまくり取材は大成功に終わった。

旅先では普段のタイムスケジュールと時間の流れも異なるが、土地面積が広大な場所では移動するだけでもかなりの時間と体力を要する。自分の住んでいる土地を地元と捉えるならば、そのから一歩でれば気温や湿度も異なるため、知らず知らずのうちに身体は疲れているものだが、釣り人たるものそんなこと言っているヒマはない。地元に帰ったらこの釣りは出来ない。ここに来ている今だから出来るんだ!と考えれば、私の場合は、時間の許す限り“ぶっ倒れるまで釣り続けたい”といつも思っている。

自分の初めて行く場所、時々しか来れない場所での釣りは特別なワクワク感がある。それに釣り人のスキルを大きく伸ばしてくれるチャンス。自分の釣りがどこまで通じるのか、本当の意味で釣り人としての真価が問われる場だ。

もっともっと腕を磨きたい。もっと、もっと魚のことを深く知りたい。自分の知らない海を見たい。いつもそんな気持ちで、身体の限界に挑んでいる。

限られた時間だけれども、旅先では「あの場所に行きたい!」、「あの魚も釣りたい!」と思ったら即・行動すべし。

迷いは無用だ。

なにせ広い北海道の全てを人間一人で釣り歩くなんて、気が遠くなるほどの時間が掛かるのですから―。

誰もいないサーフはちょっと寂しいが、その分、この広大な海を独り占めした気分に浸れるも乙なもの。

 

 

 

 

 

 

 

でも、やりたいと思いませんか?

少なくても私は例え一生涯かかったとしても北海道で根魚が釣れる場所は全部、自らの足で釣り歩きたいと思っているくらいですから(笑)。

生きてる間は夢が尽きることなさそうです。

最近では言う人も少ないと思われるが「北海道は、でっかいどう!」という言葉が世の中にはあるくらいだから…どうせなら、夢はでっかく!いきたいものです。

 

■タックルデータ

●ロッド:サーフスレイヤーSSLS-96MH-F

●リール:ステラ4000

●ライン:シーガーR18完全シーバス1号

●リーダー:シーガーショックリーダープレミアムマックス20lb

●フックは下記参照

★ミノー用:カルティバ シングル75M  1、1/0、2/0

★ジグミノー及びメタルジグ用:カルティバ ジグミノー段差 2、1、1/0

●ルアーは下記参照

★ミノー:タイドミノースリム175フライヤー北海道リミテッド

     ログサーフ124F、ログサーフ144F、サスケ120

★バイブレーション:レンジバイブ90ES、80ES

★ジグミノー:バードック120S、KJ-11

       プレスベイトHD、オーバーゼアー90S

★メタルジグ:撃投ジグ28g、40g、撃投ジグエアロ30g

 

●偏光グラス ZEAL OPTICS Vanq

●偏光レンズ TALEXイーズグリーン、アクションコパー

北の大地を釣り歩く。(6)

積丹半島を南下しながら立ち寄ったサーフではベイトフィッシュの気配は相変わらずなかったが、単発でサクラマスの“ハネ”を見つけたので、少しここでやってみることに。

しばらくして、安瀬君のジグミノーに本命がヒットしたもののラインブレイク。

その後は「シーン……」とした沈黙の時間が流れ、そろそろこの場所は諦めようか…と思った10時半頃。「最後の一投」と放ったジグミノーの水面直下“高速引き”をしていた私にリールのハンドルが瞬時に「ガツン!」と止まるほどの衝撃が伝わる。

直後「ギラン!!」と大きく水面がフラッシュして、一目で大きなサクラマスであることを確認。

私は小学6年からサクラマス釣りを始め、高校3年の初キャッチ以来、幸いにも毎年サクラマスを釣ってきたが正直、地元の北上川水系河川のサクラマスはこんなに激しくは引かない。

「なに?これがこっちのサクラの引きなの?」って感じるほどファーストランの勢いがまるで違う。海で捕食モード全開の個体と河川に遡上し食性を失いつつある個体をリアクションで口を使わせて釣る“その差”というのを痛感した。それに背びれを出しながら猛スピードで横っ走りする様はサクラマスというよりは、まるでシイラのようで驚いた。

まさに北海道の海サクラは、“ちょっとした青物”感覚。

「サクラマスってこんなに引く魚だっけ?」と思えるほどのパワーとスピードに久々に鼓動が高まった。

しかしフックアップと同時に魚が猛スピードで突っ走っていったと思えば、そのままテンションが抜けていきバラシ。確実にフッキングを決めたかったのだが、魚の泳ぐスピードにリールのハンドル回転が追い付けず大量のラインスラッグが出てままだったので、その間にフッキングパワーが針先まで十分伝達されなかったのが原因だ。

その後はパタリと魚の気配もなくなったので移動。

更に南下を続け、今度は近年ヒラメ釣りで一躍有名になった岩内港に立ち寄って偏光グラス超しに海を覗き込むと、5~7cmくらいのカタクチイワシの群れがいるのを発見。

安瀬君が投げた撃投ジグ28gグリーンゴールドカラーにヒットしたのは海アメだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ベイトフィッシュはいるから、マスも港内に入って来ている可能性ある」と睨み、ちょっとやってみよう!と28gのメタルジグをフルキャストした第1投目の回収間際に、なんと足元の岸壁際のコンブの下から40cmほどの海アメがルアー目がけて突き上げてきた。

アメマスはサクラマスのようにスピードはないが、体をよじるようにファイトする。

 

 

 

 

 

 

 

が、タイミング悪くジグのフックがコンブに引っ掛かってしまい、追って来た海アメは水中でジグをじっと見たまま静止したかと思えば、プイッと見切ったようでいなくなった。

普通の漁港でアメマスが釣れる。これぞ、北海道の海。

 

 

 

 

 

 

 

残念だったが、魚はいる。よりミノーライクにゆっくりトレースして少し離れた位置にいる魚も惹きつけていこうとルアーをメタルジグからジグミノーにチェンジしようとした矢先、隣でキャストしていた安瀬君の竿が軽く曲がる。

小型とはいえ、白い斑点はアメマスの証。美しい一尾だ。

ヒットルアーは撃投ジグ28gのグリーンゴールドカラー。

サイズは可愛らしいが、紛れもない海アメだ。「あいや~サクラマスじゃなくて、アメマスでしたね~」と苦笑しながらもまんざらではない様子。

アメマスはサクラマスやカラフトマス(=ピンクサーモン)、シロザケ(=チャムサーモン)と共に北海道を代表するオーシャントラウトでもある。

 ちなみに「マスとサケの違いは何ですか?」と思う方もいるかもしれないが、実は厳密にはその明確な違いはありません。

本来はマスもサケも同じ。

海に降下したアメマスはエサを飽食し、急激に成長していく。

 

 

 

 

 

 

 

日本だけ独自の基準を設けて呼び方を分けてしまったため、変な誤解を生んでしまったまま今日に至っているが、分類上は同じ種類に属する魚達である。

いずれにしてもサケもマスも本来は海と河を行き来する魚。

本州では渓流でしか出会えないと思われがちなイワナ・ヤマメが海の漁港にいる姿は道内以外の方にはなかなか想像しにくいだろう。

きっと不思議に思うはずだ。

そういう意味では本州のフィールドではなかなか接することが少ない“海マス”釣りは本州在住アングラーからすれば斬新な対象魚とも言える。

この魚も秋になれば、見違えるほど大きさ魚になっているに違いない。 

 

 

 

 

 

 

余談ながら…、これくらいのサイズなら宮城県気仙沼港の岸壁でも海アメは釣れるそうですよ。

同港のシーバスで有名な場所で外道でちょくちょく掛かってくるケースですが、ローカルの間では以前から知られた話。

私は専門的に狙いに行ったことはありませんが、きっと近くにある大川から降りてきたエゾイワナ(アメマス)が海でウロウロしているのでしょう。

この魚も小型ゆえにまだ幼い顔つきをしているが、銀毛した中に浮き上がる薄っすらしたグリーンバックとそこに浮かぶ白い水玉模様はさすがアメマス。

実に美しい。

 

次回へ続く。

北の大地を釣り歩く。(5)

前回の(4)から少し期間があいてしまったが、この話には実はまだまだ続きが存在する。

今回は「海サクラ」を追った時の話をしていこう。

海岸に注ぐ幻想的や優しい太陽の光。

 

 

 

 

 

 

 

私が訪れていた5 月~6月は北海道における海サクラシーズンも中盤を過ぎ終盤期が迫ってきた頃。

通常、サクラマスはその名の通り、桜の咲く時期に海から川に遡上してくる魚であり、大部分の魚はこのタイミングで河川内に入り、産卵が行われる秋まで川の中に留まる。しかし中には水温の過度の上昇に耐え切れず死んだり、酸欠で死んだりするサクラマスも実際は多い。そのような中、春に遡上する一般的な群れとは少し違う形態をとる個体群も確認されている。

朝マズメは海サクラ狙いの格好のチャンス。例えば東北・三陸沿岸の河川では「サマーラン」と呼ばれる、真夏になってから河川に入ってそのまま時間をかけずにヤマメが生息する上流域まで一気に遡上していき秋の産卵期に備える個体群もいるのだ。

 

この類の魚は北上川水系以北の三陸沿岸河川に集中的に確認されている。4年ぐらい前の話だが、かつて私も7月末日の真昼間に北上川下流域でシーバス狙いで投じたシンキングペンシルを水面を激しく割って出たサクラマスを掛けたことがある。当時は掛けてビックリしたものだった。更に8月にバス釣りをしていた時にアシ際に撃ち込んだスピナーベイトに、なんとサクラマスが掛かった釣友もいる。又、6年前の8月には岩手県宮古の海でアイナメ狙いの最中に磯場のワンド最奥で突然、カタクチイワシ追ってサクラマスの群れが物凄いボイルを起こしているのを目の当たりにし驚いた記憶もある。これらは、いずれもサマーランと呼ばれるサクラマス達の姿である。

沖の離岸堤の隙間を狙ってフルスイングでジグを飛ばす。北海道では本州とは異なり、川でのサクラマス釣りは禁じられているため、必然的に海で釣ることになるがやはり最も人気が集中するのは3月~4月ぐらい。

 

 

それでも5月~6月も釣れ続け、例年、7月下旬に最後の群れが接岸するという一説を耳にしてすいぶんと久しい。

青い海と深い山々が織りなす積丹半島。釣り人ならずとも一度は訪れたい絶景の地である。しかし、7月と言えば北海道が最もいい時期。ロックフィッシュも、ヒラメも、青物も、道東の海アメも道内全域でソルトウォーターゲームはどれも最高に楽しい季節柄、最後の最後まで海サクラだけを追い続ける人はさすがに多くはない。

もっとも、海サクラにおける人気釣り場の一つ・道央の日本海側では5月~6月上旬頃が一番釣りやすい時期とされている。

私がロックフィッシュ関連のロケで訪れていた積丹半島周辺は、アイナメは釣れ始まったばかりだったが、ちょうど海サクラはベストシーズンに入っており、事実、私の滞在期間中にはなんと驚愕の6キロオーバーのサクラマスが2本揚がったという話を聞いた。このタイミングで現地の釣友も見事な4キロオーバーのサクラマスを手にしていた。

いずれも積丹半島での釣果である。

海と山が一つの自然の造形美を醸し出す。私の地元は東北の宮城であるが、宮城県内でも東北最大の流域面積を誇る北上川水系をはじめサクラマスが遡上する河川は複数に及ぶ。が、しかし6キロオーバーのサクラマスともなると、さすがに本州では聞いたことはない。

道内ではサクラマスは、大きさよりも、重さに重点を置く傾向が強く、逆に東北ではサイズを重んじる傾向があるため、東北各地のサクラマス釣り場では「あの川で○○cmの魚が出たらしいよ」という噂を耳にすることはあっても、その重量に関する話題はまず出てこない。

これも地域差だろうか―。

ただ私が思うのに北海道であれ、東北であれ、北陸や関東であれ、釣れている魚は同じサクラマスであることには違いないから、“一般的”に日本国内で釣りで狙える最大サイズは70cmまでと考えると、体高と幅が東北以西の河川に遡上する個体群よりも遺伝子レベルで大型化するDNAを持つ個体群が日本の最北に位置する北海道に多いことは確かだ。

 

石がゴロゴロ広がっている砂利浜にも海サクラマスは回遊してくる。ロシアではサクラマスのことをシーマと呼ぶが、北海道より更に北のロシアの河川に遡上する個体群は日本の河川に遡上する個体群よりも総じて「板マス」と呼ぶに相応しい魚が多い。

魚の形が細長スリムではなく、ひし形をしている。こうなってくると見た感じからして別の種類の魚と思えるほど、物凄い迫力がある。

 

 

まるで飲料水を思わせる水の透明度。こんなクリアな海に銀影を追った。これらには緯度による水温と海にいる時期のエサの摂取量と栄養面が深く関係していると思われるが、同じ60cmのサクラマスでも北海道のそれと東北のそれではまるで別の魚に見えるほど、迫力が違って見えることが多いのもうなずける。

元々、冷水魚であるサケ・マスの類は北に行けば、行くほどフィールド規模が広がりを見せることは不変の事実のようだ。

 

さて。通常、私の「1年間の釣りサイクル」は3月と4月はサクラマスのみ。仮にサクラマス以外の釣りに行ったとしてもバス釣りぐらい。要は海水温がまだ不安定な海の釣りは、アタリ・ハズレの差が大き過ぎるので、この時期だけは大人しく淡水の釣りに集中している。

時にはこんな浅瀬付近までサクラマスがルアーを追ってついてくる、というから侮れない。そのかわり5月中旬を過ぎれば、ロックフィッシュにフラットフィッシュ、シーバス、青物…と連日、海の釣りが忙しくなるため淡水の釣り場に行くケースは激減し年を越すまで、ほぼロックフィッシュに特化した釣行になる。

特にここ近年では「海釣りは5月20日以降にスタート」と自分の中で区切りを設けているので、春はひたすら“マス三昧”。が、しかし今年は連休明け早々からロックフィッシュ取材が続き、4月下旬の時点で後ろ髪惹かれる思いでサクラマス釣りを早々に切り上げなくてはならなかった。

5月・6月・7月とこの3ヶ月間だけでもロックフィッシュは大多数の釣果を伴っているが、先の北海道滞在期間中は朝夕ともなればまだ肌寒い季節柄、「マスが釣りたい!」と思う気持ちがなかなか消えず、もしチャンスがあれば…とロックフィッシュタックルの中に少しばかりトラウトタックルも忍ばせて北海道へ向かった。

 

山頂の残雪と新緑と清々しい空の青色がとても心地よい。ノースアングラーズ誌のロックフィッシュ取材を予定していた当日はあいにくの強風とシケ模様のため、前日の段階で「この天候では予定地の撮影は無理なので取材日を翌日にずらします。」とカメラマンから連絡が入った。

取材が明日へ持ち越しとなり、急遽オフの日が出来た。これはラッキー! まさしくトラウトタックルの出番だ!(笑)。

翌日に備え、あえて体力を温存するのもいいが、風が強く、磯周りにウネリが強く当たっているだけで天気は快晴。ホテルの部屋に引きこもっていても時間が勿体ないので、取材共演者の安瀬君に声を掛け、夜明けを待たずにトラウト探しの旅に出た。

隅々まで澄んだ空気。北海道の自然の魅力は尽きない。根魚釣りのようにワームを用いて常にボトムを攻める釣りではないため、海サクラの釣りはキャスト&リトリーブの釣り。ルアーさえ投げられれば魚が釣れる・釣れないは別として少しぐらい風があっても釣りそのものは成立する。

まずは、とにかく風裏となる場所を探しながら積丹半島一帯をくまなく釣り歩いたが、ベイトフィッシュが接岸している様子はなく魚の気配はどこも感じられない。それでも朝3時過ぎには多くのアングラーがウェーダー着用で海辺に立っている風景を見ると、この釣りがいかに熱い釣りであるかが伺い知れる。

サクラマスを追う釣り人の朝は全国どこにいっても異常なまでに早いのだ。

当日は古平~積丹半島全域を経由して岩内、そして寿都までの日本海をランガンしながら広範囲を釣り歩いた。

 

次回へ続く。

なぎさの向こうに。(4)

燃えるゴミ、燃えないゴミ、空き缶、空き瓶、ペットボトル…。

ゴミは種類ごとに分別して、しかるべき日に出すのがルール。

集めたゴミを分別するのも大変な作業なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集めたゴミはしっかりと種類ごとに分けて、私が責任持って引き取り、後日、私がゴミ出しした。集めたゴミは置いて帰るわけにはいかない。最後まで自分たちで責任持って処分しなくてはならない。

集めたペットボトルは一つずつキャップを取り、ラベルまで剥してようやく作業が完了する。

 

この日は風が強く、天気は良いが巻き上がった砂が“砂嵐”のようにときどき顔にかかる。

熱中症対策には気を配りつつ、体力の持つ限り作業に勤しむ。風が強いせいで、限界に達するような暑さを感じず、もくもくと作業にあたった。

朝から夕方までやれば、その量もそれなりに集まり、軽トラックの荷台2台分。

 

長い時間、砂浜で作業していると、さすがに足腰もクタクタになった。

 

1年2ヶ月に渡り、おこなってきた水辺の清掃活動もこれをもって最終回。

私の一言から始まったクリーン作戦であるが、県内各地にとどまらず岩手県や茨城県、千葉県など遠方からも駆けつけ協力してくれた仲間達には改めて感謝申し上げたい。

その集めたゴミの総量はかなりのトン数に値すると思うが、それでも私達の集めたゴミ・ガレキの量は津波被災地全体の量からみれば、本当に微々たる量に過ぎない。

 集められたゴミの一部。まだまだ沢山あります。それでも「やらないよりマシ」、「やろうと思った人間がやる」と言い聞かせながら展開したこの活動は意義のあるものだったと思う。

 

 

 

私の知る限り、この石巻という海の街は、とてもきれいな港町だった。

北海道に行ってもそう。沖縄に行ってもそう。自慢の街だった。

東京や大阪、札幌みたいな大都市ではないから、「海」の要素を外してしまえば、正直、若い人たちにとってはあまり魅力を感じない部分もあるかもしれない。いい場所だが、典型的な東北地方のいち田舎町である。

仮に私がまったく釣りとは無縁の人生を送っていたら、高校か大学を卒業したあたりで、もっと都会に出て行ったかもしれない。田舎にはお盆と正月だけ戻ればいいやって―。

ちょくちょく行く機会がある上記に挙げた3都市からしたら、東北最大の都市と称される仙台市だって東北では一番発展しているというだけであって、「都会」という部類には入らないことは私でも分かる。だけど、重複させてもらうが、この場所には本当にいい海が広がっているんだ。

私は釣り人。

海の人である。

職種柄、色々な海に行っているため勝手知ったるこの石巻・牡鹿半島の海では心底ワクワクする時代は過ぎてしまったが、それ以上に今は安心するというか、落ち着く場所になった。地元って、こういうことなんだと。

だから、この生まれ育った海の街は最高の居場所だったことに早々に気付けたからこそ、今もここに残っている。

 旅先で自分が初めて目の当たりにする場所に行っても自分の街を、多少なりとも我が街を“誇れる”部分は今も変わらない。

 左に牡鹿半島、右に石巻漁港、正面に田代島が見える長浜海岸。

豊かな海はあの日を境に悲しみの海となってしまったが、いつの日かこの場所にも再び人々が自然と集まれるような、笑顔の絶えない海として「復活」してくれることを心底願っている。

 

行政の対応もなかなか進んでいない様子に見るに見かねて始めた清掃ボランティア活動であるが、忙しい中、汗だくになりながら、時には寒さの中、お付き合い頂いた同志の皆さんには改めて感謝・御礼を申し上げます。

どうもありがとうございました。

 

この日―。市の職員と思われる方々が遊泳禁止の看板を立てて行った。

市の職員と思われる方々が設置していった遊泳禁止の看板。いつしかこの看板が撤去される日が訪れることを願う。

 

 

 

 

 

 

 

目があったので挨拶すると、「作業、ありがとうございます」と丁寧に返され、なんだか恐縮してしまった。いつもならこの時期は楽しい海水浴場になっていた長浜海岸。

5年後、10年後、いや…それ以上先になるかもしれないが、いつの日かこの長浜海岸が限りなく元通りになった時には、またあの頃のように夏の砂浜からコチ釣り、夜の堤防からハモ釣りが出来るようになる日がくることを今から楽しみにしていたい。

その時はもっと心に余裕を持って―。

 

 清掃活動の前後には犠牲者の鎮魂とこの場所で清掃活動するにあたり許可を頂くためにお酒と塩でお清めをしました。                              

 

 

 

 

 

 

清掃作業の始まりと終わりには清酒と塩でお清めを。

始まりは、津波犠牲者の方々に「ここでゴミ拾いをさせて下さいね」とご挨拶。

終わりには「どうもありがとうございました。」と作業報告と鎮魂の祈りを。

 

見える風景は一変したが、心地よく吹き抜ける潮風はいつもと変わらない。

子供の頃から感じてきた、“なぎさ”の風だ。

夏のなぎさを吹き抜ける潮風は最高に気持ちいい。

 

 

 

 

 

 

 

私の大好きな青い空に碧い海。

季節は文月。

そう!

時は、海の季節真っ盛りである。

 

 

 「なぎさの向こうに。 完」

なぎさの向こうに。(3)

さすがに1年以上が経過していることもあり、目に余るような大きなゴミは思いのほか少なく、どこから手をつけようものかと迷うほどの量ではなかったので私達はこまやかなゴミに集中して拾い集めた。

基本は津波で漂着したゴミ集めだが、中にはそれとは関係なく残念に思うこともしばしば……。

捨てられていた花火【その1】捨てられていた花火【その2】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうのを見ると心が痛む。

主の方…、なんでですか?

それでも黙々と作業をしていると、年配の方がやってきて「どうもありがとう」と、ありがたい一言をかけて下さった。雰囲気からしてこの近くに住んでいる、あるいは住んでいた方のようだ。

花火のパッケージもポイ捨てせず、責任持ってお持ち帰り願いたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

「石巻の人はすぐにゴミ散らかしてわがんねぇんだぁ。持ってけ~ればいいのにねぇ。ほんとに困ったもんだでば~(※石巻の人はすぐにゴミを散らかしてダメなんだ。持って帰ればいいのに。本当に困ったものだ。)」と悲しそうに語っていた。

 

私もあまり言いたくはないのだが……、この方が言っていることは正直、正しい。

この石巻という街は旧来から海の街であり、水産業の街であり、魚の街であり、そして釣りの街であった。実に恵まれた環境にある。

私はそんな自分の街がすごく好きだった。

それだけに多くの釣り人も県内外から集まる「水(海・川含む)」と「魚」に非常に恵まれた土地柄だったのは出身者としての誇りでもあるが、海辺のマナーという視点では全国的な見解からして、お世辞にもこの方が発した言葉を否定出来るような事実は残念ながら思い浮かばないのである。

一人よりも二人でやれば、その能率も上がる。誰もが気軽に水辺や海釣りに親しめる反面、水辺へのゴミのポイ捨て問題は昔からの付き物だった。これは、釣り人以外にも海辺に集まる人々の意識に「海=特別な場所」という意識が存在しにくいのだろう。海のない土地に住んでいる人から見れば、贅沢に思えるかもしれないが、「海があまりにも身近過ぎる」が故に、その大切さに気つかず日常を過ごしてきた人が多かったのも石巻の風潮だったようにも思える。

 

体力が続く限り、黙々と作業に徹する。私が頻繁に県外の海に釣りに出歩くようになったのも、この海は大好きだけれども、ずっとここだけに留まっていてはいけないと思ったから。

井の中の蛙、大海を知らず。

自分の知らない、まだ見ぬ海を広く歩くことで見地と世界観は確実に広くなった。現に今の私がそうである。行った先で「見て・体験し・学ぶ」ことの意義は、とてつもなく大きい。

 

自分の生まれ育った海を客観的に捉えることが出来るようになって、初めて地元を理解できる部分って、世の中には確実に存在する。誰にだって自分の故郷はある。故郷を大事に想う気持ちは絶対にあるはず。

皆さん、一生懸命にやってくれました。感謝。

 

 

 

 

 

 

 

人の暮らしにとって切っても切れない大切な関係だからこそ、海辺の環境、水辺の環境にもぜひとも最大限の配慮をしたいものである。

作業中のひとコマ。

 

 

 

 

 

 

 

どうか、お願いします。

                               どんどんゴミが集まっていく。

 

 

 

 

 

 

昨年を持って当地では災害ゴミの集積場への一般搬入は打ち切りになっており、今では通常どおり、決められた曜日に決められた種類のゴミを分別して出さなくてはならない。

 

次回へ続く。