なぎさの向こうに。(3)
さすがに1年以上が経過していることもあり、目に余るような大きなゴミは思いのほか少なく、どこから手をつけようものかと迷うほどの量ではなかったので私達はこまやかなゴミに集中して拾い集めた。
基本は津波で漂着したゴミ集めだが、中にはそれとは関係なく残念に思うこともしばしば……。
こういうのを見ると心が痛む。
主の方…、なんでですか?
それでも黙々と作業をしていると、年配の方がやってきて「どうもありがとう」と、ありがたい一言をかけて下さった。雰囲気からしてこの近くに住んでいる、あるいは住んでいた方のようだ。
「石巻の人はすぐにゴミ散らかしてわがんねぇんだぁ。持ってけ~ればいいのにねぇ。ほんとに困ったもんだでば~(※石巻の人はすぐにゴミを散らかしてダメなんだ。持って帰ればいいのに。本当に困ったものだ。)」と悲しそうに語っていた。
私もあまり言いたくはないのだが……、この方が言っていることは正直、正しい。
この石巻という街は旧来から海の街であり、水産業の街であり、魚の街であり、そして釣りの街であった。実に恵まれた環境にある。
私はそんな自分の街がすごく好きだった。
それだけに多くの釣り人も県内外から集まる「水(海・川含む)」と「魚」に非常に恵まれた土地柄だったのは出身者としての誇りでもあるが、海辺のマナーという視点では全国的な見解からして、お世辞にもこの方が発した言葉を否定出来るような事実は残念ながら思い浮かばないのである。
誰もが気軽に水辺や海釣りに親しめる反面、水辺へのゴミのポイ捨て問題は昔からの付き物だった。これは、釣り人以外にも海辺に集まる人々の意識に「海=特別な場所」という意識が存在しにくいのだろう。海のない土地に住んでいる人から見れば、贅沢に思えるかもしれないが、「海があまりにも身近過ぎる」が故に、その大切さに気つかず日常を過ごしてきた人が多かったのも石巻の風潮だったようにも思える。
私が頻繁に県外の海に釣りに出歩くようになったのも、この海は大好きだけれども、ずっとここだけに留まっていてはいけないと思ったから。
井の中の蛙、大海を知らず。
自分の知らない、まだ見ぬ海を広く歩くことで見地と世界観は確実に広くなった。現に今の私がそうである。行った先で「見て・体験し・学ぶ」ことの意義は、とてつもなく大きい。
自分の生まれ育った海を客観的に捉えることが出来るようになって、初めて地元を理解できる部分って、世の中には確実に存在する。誰にだって自分の故郷はある。故郷を大事に想う気持ちは絶対にあるはず。
人の暮らしにとって切っても切れない大切な関係だからこそ、海辺の環境、水辺の環境にもぜひとも最大限の配慮をしたいものである。
どうか、お願いします。
昨年を持って当地では災害ゴミの集積場への一般搬入は打ち切りになっており、今では通常どおり、決められた曜日に決められた種類のゴミを分別して出さなくてはならない。
次回へ続く。
2012年7月23日 | カテゴリー:その他