Over the Rainbow~虹の彼方に~
早いもので2012年も残すところ僅かとなりました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか―。
最近、特にそう思うのですが、1年1年、月日の流れが早いなぁ…ということ。
それは単に私自身も年齢を重ねていることにも起因しているとは思います。
それだけに毎日のライフサイクルが決まっている、一定の時間割に沿って生きているからこそ、だとは思うのですが、子供の頃は毎日の日々がとても新鮮で逆に一日の流れが凄く長く感じていたことを、ふと最近思い出しました。
手前味噌で恐縮ではございますが、自身まだまだ若いつもりでやっておりますが、それでも今年の7月で三十路に突入しました。「30代」という言葉の響きは想像通りというか、自分にとっては意外と“重いもの”として圧し掛かった感じもしています。
人間、歳を取ることは誰しもが避けられませんが、いざ本格的な30代のスタートラインに立ちまして、来年以降の過ごす日々はもう少しメリハリというか、強弱をつけて生きていきたいな、と思っています。精神的にももう少し余裕があったらいいのになって、考えることも多いです。
頑張るのはいいことだけど、頑張り過ぎても体力的にも精神的にも行き詰まってしまう。
最近、このことが少しずつ分かってきた気がしてなりません。
何かと忙しく、せわしない現代社会。
バリバリ働く方は、それだけに体力的負担のみならず、精神的負担も大きくなるわけですが、身のこなしがスマートな方はストレスの捌け口をお持ちというか、自分を休める方法もよく知っているのだと考えます。
「仕事」と「遊ぶ」ことは一見、相反するものだと思われがちですが、裏を返せば実は紙一重のものだともつくづく思うのです。
遊ぶために全力で働く。働いたから精一杯、遊ぶ。世の中を上手に生きている人達は本当に凄いなぁと思う次第です。
喜ばしいことや楽しいこともある反面、昨年の3.11東日本大震災以降の日本は色々な意味で世界観や価値観が変わったような気がしてなりません。岩手、宮城、そして福島―。特に東北地方の太平洋側はそうです。想像を絶した震度7の激震。一瞬にして全てを呑み込んだ黒い大津波。制御不能に陥った原発と放射性物質の拡散。とてつもない多くの被害と犠牲者を出したこの未曾有の災いは、それだけ歴史的な「大事変」だと私は認識しております。
この10年間、私は辺りに目もくれず独走し続けてきましたが、別にその人生に後悔することもありませんが、やり残してきたことはあったと自覚しています。思えば、それは若さからくる余裕のなさ故、仕方なかったのかもしれません。
それでもこの世界に身を投じ、気がつけば早いものでとうに10年以上が過ぎています。
必死でした。がむしゃらになって歩んで来た成人後のこの10年間でした。
人とは違う特殊な生き方を選んでしまったが故に心の奥底のどこかに感じる境界線におびえ、孤独に対する恐怖心も感じてきました。それでも激しく、エキサイティングな青春時代を含む歩みでした。
メーカー運営責任者としては勿論ですが、プロロックフィッシャーとして、著者として、今年も活動の多くを皆様に助けられ、一つずつこなしていくことが出来ました。
いつも多大なるご支援・ご声援、誠にありがとうございます。
来年3月11日でこの度の大震災から2年という月日を迎えます。震災で家族や身内を失った親族にとっては三回忌という大切な節目です。
今もこうして心に残った影の部分、もっと言ってしまうと闇の部分をあえて隠さずに書き綴っているのは、今後もしもまたこういった大災害が起きてしまった際、意識的な面で、心の面で、なんらかの一助になれればという想いに尽きます。
今も尚、被災地で苦しい生活をよぎなくされている多くの皆様へは、重ねて深くお見舞いを申し上げると共に、被災地外の皆様へはこれからも長い目で当地にあたたかなお心添えを頂戴出来れば幸いに存じます。
そして、来年は少しでも被災地に希望の灯が燈りますよう、切に願います。
Over the Rainbow。
ご存じ、名作映画「オズの魔法使い」の中で、主人公の女の子・ドロシーが口ずさむ一曲です。
この曲はBS日テレの釣り番組「夢釣行~一魚一会の旅~」のエンディングにも使われている曲で、先日は「クリスマスの約束」(小田和正さんが2001年度から毎年おこなっているライブをクリスマスの夜に放送する特別歌謡番組)で歌っていたのが、すごくステキで新鮮に感じました。
牡鹿半島の海に架かる虹。
これが私のOver the Rainbowです。
そして、この無限の可能性を秘める「海」にあるのが己の信念・Dream&Passion!!(夢と情熱の精神)です。
そう、ここは宮城県石巻市―。
多くの人があの日、あの瞬間に死んでいきました。
今でも心の整理がつかないままの自分がいることは事実です。
この目で多くの亡骸を見てきました。地獄絵図そのものでした。頭の中が真っ白になってしまって、強靭で図太いはずの神経も崩れかけ、自分を見失いそうになりました。
そんな悲しみの地において、それでもまたこの街は、この海は、もう一度……必死に立ち上がろうとしていることを私は、誇りに思います。
辛いけど、ここに生きるみんながまた訪れる明日を夢見て、一生懸命に生き抜いていこうとしているのです。
2012年も皆様、本当におつかれさまでした。
辺り一面、雪に見舞われている地域もあると思います。真冬の冷たい雨が降っている地域もあると思います。寒さ厳しき折り、お風邪など召されませんようお身体にはくれぐれもご自愛の上、どうか良いお年をお迎え下さい。
いつもつたない駄文で恐縮な限りではございますが最後の最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
感謝―。
来る2013年が、どうか穏やかで、平和な一年でありますように。
2012年、年末のご挨拶に代えまして。
佐藤文紀
2012年12月30日 | カテゴリー:その他