3年の月日に今、想うこと。
巡るべくしてまた巡ってきた本日は3月11日。
生涯、決して忘れもしない一日です。
きっと今日は沢山の追悼行事が各地で行われているのでしょう。
3年前の今日―。
…………………。
具体的に思い出すと辛いので、ここではあえて直接の感情には触れないことにしています。
現時点で東日本大震災による死亡者数は岩手県で4673人。宮城県で9537人。福島県で1607人。全国では15884人とされています。
一方、行方不明者数は岩手県で1142人。宮城県で1283人、福島県で207人。全国では2636人。
●東北の皆さん。
皆さんのところはいかがですか。
復興はどうですか。
進んでいますか。
●被災地外にお住まいの皆さん。
その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私達は一生のご恩と思っております。
皆さんにとって、“被災地の今”はどんなふうに見えますか。
2011年4月の宮城県石巻市。
眼下に広がるガレキの山。
同時に、市内・旧北上川河口部の中州(当地では「中瀬」と呼ばれるエリアです)の様子。
建物のほとんどが海から迫った津波に流されていきました。
同年、2011年11月の宮城県女川町。
そして、被災地の今を知るために旅に出たのは昨年の春のこと―。
2013年3月の千葉県飯岡。
2013年5月の茨城県日立。
2013年7月の福島県では原発30km圏内より中へ。
2013年9月の宮城県東松島。
2014年1月の岩手県小本。
2014年2月の青森県八戸。
各地を自分の目で直接見て、歩くことで初めて分かることがある。
でも、明確な事実は震災の爪痕はあまりにも大きい、ということ。
余震も相変わらず続く。
阪神大震災や新潟県中越沖地震では1ヶ月~半年以内で余震が収束している事例に対し、東日本大震災の余震は3年経った今でも続いている。
先日の新聞で、目に留まった記事。
阪神大震災や新潟中越沖地震が「マグニチュード7」だったのに対し、東日本大震災の「マグニチュード9」では破壊力は1000倍の違いがあるという。
今後10年間は被災地では余震が多発するものと推測される、との記事内容でした。
本震の揺れ「震度7」がもたらした影響が収束するには相応の時間を要する、ということなのでしょう。そう思うと確かに気も滅入りますが、これからも強い余震には十二分に警戒していきましょう。
福島原発について―。
昨夏に訪れた原発規制区域ギリギリのエリアで見た光景はあまりにも衝撃的だった。
それ相応の覚悟はしていたとはいえ、言葉では表現できない“重い空気”に支配されていった。
おのずと口は閉口する。
ご周知の通り、雑誌連載「サカナサク、海の旅。」ロケ中に訪れた時のことでした。
それでも立ち入りが許される限りは自分のこの目でその現実を受け止めなくては、という一心で向かいました。もちろん、多少なりとも高い線量の中に身を投じたわけです。
その際の心情は雑誌に綴りましたから、ここでは省略しますが「想うこと」はただ一つ。
事態の収束に向けて従事する原発作業員や警察の方々は本当に“命がけ”で目に見えぬ恐怖と戦うために今日もまた戦線に立っています。
ご家族は、きっと誰よりも心苦しいはず。
写真は東京電力福島第一原子力発電所より南に8kmの地点。ここから先は全面的に立ち入り禁止。(※昨年7月の時点で)
この翌日、私達取材班は原発から北に対しては5kmまで接近が許されているので実際に行っている。
つまり、原発を中心として南北両方から挟むルートでギリギリまで近づいて来た。
今も収束の時を待つ原発施設において、関連業務に従事する職種のご家族方々は、どんな想いで身近な人を送り出しているのかを考えると、とても切ない。
でも、「誰かがやらなければならない」という現状。各々さまざまな理由はともあれ、その遂行すべき責務を成し遂げようと必死に頑張っていらっしゃる人達がいるという事実だけは私達は肝に命じなくてはなりません。
続く原発問題。
東日本大震災はまだ終わっていない。
隣の県では、今も、この瞬間さえも、事態は進んでいるのです。
これからの日本の国がどのような方向に向かっているのかは、残念ながら現在の私たちには知る由もありません。
少なくとも、私は予想出来ない。
けれども、人間生きている限りはできるのなら明るく、楽しく、有意義な人生を謳歌したいものです。
今の科学では、一度しか生きれない人生です。
そのために自分は何をすべきか。
貴方は何をすべきか。
よく考えて、行動をする大人であり続けたいと思っています。
まだまだ続く、復興への長き道のり。
最長40年と言われる原発廃炉への行程。
40年先なんて、私も70歳を過ぎたおじいさんの年齢(健康で生きていれば、の話ですが)です。
起こってしまった歴史を変えることは出来ないが、起きた事実と向き合って生きていくことは誰もが可能です。
いや、むしろ私達はそうしていかないといけないでしょう。
未来のためにも。
今日は日本にとっても、私達にとっても、大切な一日です。
今後起こりえる、起こりえるかもしれない未来の大災害からどう身を守っていくのか、防災についてもう一度考えてはみませんか。
鎮魂の鐘が鳴り響く、3月11日。
東日本大震災、3年目の綴り。
2014年3月11日 | カテゴリー:その他