ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

サカナ色、咲く海に。

①

約束の色は、「初心忘れるべからず。」という自分への戒め(いましめ)の色であり、あの時の(高校時代の)ワクワクした気持ちをいつまでも大切にしたい、という願いの色。

 

②

芸達者な人生の大先輩と交わした言葉の約束は、いつしかの自分がそのような心の広さを満たした時に「コイツ、本当にいい奴だな!」と思う年下の者にさりげなく、手を差し伸べられたらいい。

 

 

そして3つめ―。

今年最後の綴りとなる今回はこれでしょう。

東日本大震災被災地のいち早い復興への願いを込めて綴る、「サカナサク、海の旅。」への旅を終えての想いです。

③

この“サカナサク、海の旅。”という連載は、釣り雑誌「SALTWATER」(地球丸)で私が一年に渡り書き綴った作品。

毎回のページに挿入されていたこの画も、色鉛筆での走り描きではあるものの、この旅のイマジネーションを膨らませて私が描いたものです。

 

私が抱いた感情やその願いというのはその一年間に渡る連載誌面で十分に綴りましたので、あえて今ここで改めて述べるものではありません。

 

被災地の方も。被災地外の方も。

それぞれの立場でそれぞれの地域の方々が貴方ご自身の基準で判断してもらえたらいい。

 

釣り雑誌なのに釣果優先でもなく、対象魚も予め設定しない“行き当たりバッタリ”の旅路。

そこで出会う風景や人、生き物や食べ物をありのままに感じ、書き綴る。

こんなスタンスの釣り連載は過去にはなかったはず…。

 

だから、自分がこれをやろうと思ったんです。

私色の世界観から見る視野はごく狭いものであり、これは、ただ一人の戯言(たわごと)に過ぎないけれど、一人でも多くの読者の方の目に留まり、被災地の「今」に触れるキッカケになってもらえたら…それこそがこの企画の本望でもありました。

 

それに旅行好きなんです、もともと。

別に、釣り竿片手でなくてもいい。

必要だとすれば、カメラ。

人の記憶は次第に鈍るから、その取っ掛かりを思い出すだけでも自分の瞳に写した情景の一部を「写真」という額縁に切り取っておけば、それをもう一度見た時に脳がそれを思い出す。

つまりは眠りかけていた記憶が蘇ることがありますよね。

 

いずれにしても、大勢でワイワイ、ガヤガヤというよりも、一人でふらっと自由気ままに出かける地味な旅(笑)が好きなんですよね。

 

だから、そんな雰囲気もこの連載の中の特色のひとつとして醸し出せればうれしいなぁ、とも思い続けてまいりました。

 

私の住む東北の宮城県ではイシモチ(ニベ)は夏の魚なんです。

それを3月に千葉県九十九里浜で釣ったのは東北人でもある私にとっては春を、いや夏の雰囲気を先取りした気分にも浸れましたし、連載中だた1度のみ実釣を伴わなかった回である福島県の東京電力第一原子力発電所の周辺区域を訪れた夏の回には過去の木戸川でのサケ釣り体験を何度も何度も思い出すものでした。

④

⑤

 

冬―。あたり一面の銀世界に包まれた厳寒期の青森県六ケ所村の砂浜で投げたルアー。

⑥

旅の終着地での身も凍るような寒さの中、この海の向こうには北の大地・北海道があるんだよな!と噛みしめつつ、真っ白と真っ青のコントラストを成す海に正対したのも今では良き思い出です。

 

こうして一年間に渡って先の大震災の津波被災地を巡る中で、津波の直接の被害はなかったけれど大地震そのもので被災している地域もまた多かったのもやはり事実です。

栃木県の宇都宮なんかもそうでした。

⑦

⑧

あまり報道されにくかったかもしれないが、実際は本当にひどい被災をしている地域ってのもまた多いんですよね。沿岸から離れた内陸部でも、やはりあれだけの大震災だったわけですから受けた傷って、そう易々と消え去るものではない。

 

人の心もそうだと思います。

 

今でも亡くなっていった人のことを思い出すと、とりとめもなく悲しい気持ちに支配される自分もまたいます。

この傷が生涯癒えぬこともまた自分では覚悟しているし、時に湧き上がるこのドス黒い感情さえも必死にコントロールしなくては「自分が自分で」いられなくなる。

 

被災地で生きるって、そういうことなんです。

それはそれで辛い運命さえも背負わなければいけない。

 

しかし、そこに希望はなかったか。

希望はないのか。

という真意を探るべく出た旅が「サカナサク、海の旅。」でした。

 

あくまで私的な感想に過ぎず恐縮な限りではありますが、これまでの釣り師人生、どんな実釣ロケよりも別な新鮮味がありました。

 

最終的な目標としているところが、ただデカい魚を釣ればいい、テクニックを解説すればいい、というところではないからだったのでしょう。

⑨

我々と同じくもう一度、必死に生きようとしている仲間達との触れ合いの旅。

それが、一連の「サカナサク~」で私が大切に、大切に、していた“心”の部分です。

 

演者であると同時に筆者(著者)でもある私もまだまだ書き綴る腕が足らず、伝えるニュアンスや一般読者との温度差をどこまで縮められるかは毎回のテーマでもありました。

⑩

それでも目くるめく、一年の旅路はこの春に終焉の地を迎えることが出来たのは、ひとつの達成であり、「やりきった!」という区切りの気持ちを感じることも出来ました。

 

発生から、じきに4年目を迎える東日本大震災。

⑪

報じるメディアは少なくなり、今では被災地のタイムリーニュースもなかなか知る機会もまた減ってきていることと思います。

その間にも未だに原発問題とて収束したわけでもありません。

 

私の世代でも完結することが難しい、長い、長い、果てしなき道。

深く、険しいその道のりはこれからもきっと続くのでしょう。

 

それでも、人は生きる。

未来のために。

 

例えまた悲しいことが日本のどこかで突如として起きてしまったとしても、これが極めて例外的だったことだとしても今回のようなことは二度と起きてはならないものである、とやっぱり思うんです。

見えない恐怖に怯え、子供の将来を按じ、たくさんの人が今もなお、苦しんでいるのですから。

 

海の中が生き物で溢れる、サカナ咲く海がもう一度、いつしかのかの地にも戻る時がやがて訪れることをいま一度願いつつ、「魚釣り」を目的に海辺に人が自然と集ういつしかの日本の風景を思い描きながら、今年度の最後の私の綴りとさせてください。

 

 ※

この冬もまた寒いですね~。

なにかと体調が変動しやすい時期です。

風邪など召されませんよう、どうかご自愛しつつ。

 

また来年も―。

誌面で、画面で、あるいは釣りの現場で、貴方様とお会い出来ることを楽しみにしております。

⑫

「サカナサク、海の旅。」も一年に渡るご精読も誠にありがとうございました。

改めて、感謝・御礼申し上げます。

 

そして、この旅路を私と一緒に二人三脚の力で共に歩いて下さった若林カメラマンにも重ねて厚く御礼を申し上げます。

ご一緒させていただいた貴重な時間。人生の、大きな糧を得た気がしてなりません。

 

今年一年も大変おつかれさまでした。

それでは皆さん、良いお年を!

 

来年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

2014年、年の瀬。

佐藤文紀

約束の言葉。

駿河湾の背後にそびえる名峰・富士の頂(いただき)。

①

8月上旬の、伊豆半島(静岡県)での釣行からの帰り道。

 

釣り人の皆さんには、釣り雑誌「SALTY!」誌の人気連載「フィールドからON AIR」や釣りビジョンが誇るスタジオ生放送番組「五畳半の狼」の司会でもおなじみの大御所、声優の菅原正志さんが運転する車の助手席に乗せていただいていた私は、帰りの新幹線が発着するJR東京駅まで、伊豆半島から送っていただいていた。

②

伊豆半島の西岸・通称「西伊豆」から東京駅までは途中、高速道路を経由しても、おおよそ3時間30分程の道のり。

高速道路に乗ればあいにく、その日は道路が混んでいて、これは思いのほかもっと時間がかかりそうだ。

 

15時前に途中のサービスエリアに立ち寄り、遅い昼食を2人で取る。

結局のところ都内周辺に差し掛かると渋滞は更に混雑を増し、東京駅に到着したのは夜19時過ぎになった―。

車をフェリーに積み込んで行った新潟県佐渡島での雑誌ロケから一度帰って、釣り道具と荷物を詰め直して急行した静岡県安良里(あらり)。

移動を含めた3日間。

安良里(あらり)に2泊した翌日はさすがに次の仕事を控えていることもあり、私は駆け込むようにして東京駅は東北新幹線のホームへと急いだ。

 

菅原さんとご一緒した2泊3日のアカハタ狙いの静岡県ロックフィッシュゲーム。

アカハタは「魚類」としてはキジハタよりも小型に属するハタながら、その鮮やかな赤色はキジハタ同様の存在感を示す大本命のロックフィッシュ。

③

アカハタは、先に大ブレイクしたキジハタや同じくこれからが楽しみなオオモンハタなどと共に「ロックフィッシュゲーム」として今後、必ずや新しい道が開かれ、確立される魚だ。

西や南のハタは、東や北にルーツのあるアイナメ、ソイ、カジカと遜色ない高いゲーム性を誇り、ましてや一筋縄ではいかないターゲットだけに1尾1尾の出会いを大切にしていきたいロックフィッシュ。

アジとかサバとか群れで回遊する魚とは異なり、そんなに何匹もたくさん大釣りできるばかりではないロックフィッシュゲームというカテゴリーにあって、“釣れたら最高でしょ!”の1尾の価値が値千金である魅惑の魚たちこそがこの釣りの主人公たちだ。

この釣行でも良き釣果に恵まれ、アカハタはもちろん、更にはカサゴやオニカサゴ、シイラまでその釣果に加わった夏のいい思い出だ。

④

⑤

⑥ 

恐縮ながら菅原さんのご厚意に甘えてしまった今釣行。

本当であれば、いくら菅原さんの車であっても運転は私も代わってやるべきであるし、何よりもガソリン代もお出しするのが礼儀だ。

更には昼食まで菅原さんにごちそうになったあげく、別れの東京駅ではご丁寧にも手土産まで頂戴してしまったのである。

 

申し訳ない……。

恐縮の極み……。

このご恩、どうお返ししていいものか……私の頭の中にはそんな言葉しか出てこなかった。

帰りの道中、バックミラー越しに名峰・富士山が映るあたりだった。

隣の運転席でハンドルを握る、菅原さんに思いきって聞いてみた。

「なぜ、そんなにもご親切にしてくださるのですか?」と―。

東日本大震災の後も菅原さんは私宛に直筆の丁寧な綴りのお手紙を何枚も何枚も送って下さり、これまでずっと励まし勇気付けてくれた。

それは今でも私の心の支えになっている。

普通、それだけでも十二分にありがたい話なのに、芸能界というちょっと特殊で多忙極まりない世界に置く身にも関わらず、ご自身の仕事をお休みまで取ってまでアカハタ狙いのロックフィッシュゲームを一緒に楽しむ、という時間まで作って下さったのである。

帰りの道中、高速道路のサービスエリアでの食事後、こればかりはさすがに…と私が会計を2人分一緒にまとめたく私が財布を出したとたん、「文紀君、それはいいよ。君のその気持ちだけでいい。その財布は、しまいなさい。」と菅原さんが言った。

あまりの恐縮さにおそれをなして尋ねたのが、私が述べた先の言葉だったのだ。

 

「それはあまりにも申しわけないです。せめて、食事代だけでも私に出させて下さい。」と私は続けて切り出した。

それに対し、菅原さんから返ってきた言葉はこうだった。

「そうかい? ん~じゃぁ……文紀君がこのことをね、“申しわけない”と思うのなら、俺とひとつ約束をしてくれないかな?」と―。

 

なんだろう…。

 

「実はね、私も君ぐらいの年齢の時に先輩から、同じようにしてもらったことがあるんだ。それがうれしくってね。今でもいい思い出なんだよ。ほら!今でこそ、自分は声の仕事(つまり声優業)をしているけれど、若い時には都内に自宅を構えることも、車を持つことも想像出来なかったなぁ~。」

 

その昔、菅原さんが尊敬する先輩によくしてもらったことが凄くうれしかったのだそうです。そのことは今も菅原さんの胸の中にある大切にしている思い出。

そして「今はその先輩が自分にしてくれたことを今度は自分が年下の人間にしてあげられる年齢になったのだよ。」と続けておっしゃいました。

 

「だからさ、文紀君もね。私の年齢くらいになった時でいいからさ。コイツ、本当にいい奴だよなぁ~って自分が思う若い子がいたらさ、ぜひその子に今回私がやったようなことを同じくやってあげてほしいんだよ。きっと、その子は喜ぶだろう。それが私との“男と男の約束”だ。いいかい?」

 

思わず、胸がグッと熱くなる言葉でした。

ましてや、あのダンディー・ボイスの菅原さんが言うのですから尚更です。

 

なんか、うれしくて…ですね…。

思わず、目元が危うく濡れそうになるのを私はグッと我慢するのが大変だったのです。

 

言われたほうはビックリだけれども、正直、うれしかったですね。

 

自分が仮に菅原さんの年齢に達した時、果たしてそこまで寛大な男になれているかは分からない。

だけれども、やはりそこを目指していきたいな、とは強く思うわけです。

やっぱり男としてカッコイイ方ですよ、菅原さんは。

 

改めて、本当にかっこいい人だなぁ~と心底思うのです。

 

菅原さんを慕う人の多くは、菅原さんを「アニキ」と呼びます。

どこまでも「男」として大人であり、洗練され成熟の域に達していらっしゃる。

声優・演劇指導・俳優・イラストレーターとしても多彩な才能を有し、魅力溢れる方ですから、それもまたうなずけます。

私が言うのも恐縮の極みながら、釣りもプロ同然です。

中学生の頃から釣り雑誌で菅原さんの記事を拝見していましたから、釣りの業界でも私にとっては大先輩なのです。

 

菅原さんと私は年齢差で言えば「20歳」違います。

20歳といえば、一人の人間が成人式を迎える年齢ですよね。

 

現30+2そこそこの私が、かの菅原さんを「アニキ!」と呼ぶにはいくら敬意を表したところでまだまだ恐れ多いので(笑)、私は未だに「菅原さん!」と呼ぶことの方が多いのですが、やはり菅原さんはアニキなんですよね。

そう、頼れるアニキなんです。

 

 

釣り人としても業界大先輩であり、人生の大先輩でもある菅原正志さん。

そんな尊敬してやまない偉大なる大先輩とご一緒できることは釣り師としてのみならず、一人の人間として、一人の男としてもまた学ぶことがあまりにも多い。

年齢も違う私を「友人」と称してくれるのもまた菅原さんの心の尊大さとお人柄に尽きる。

まだまだ人間的にも未熟者である私が同じ船に乗り、隣に立ってロッドを振る。

ターゲットはロックフィッシュだ!

アカハタだ!!

⑦

テキサスリグが、すっげぇ~おもしろいんだ、これが!!

⑧

今はクランクシンカー1ozだよ。

赤のパワーホッグ4インチ。いいね!釣れる!

ダブルウェーブ?ごっそり持ってるよ。アイナメ爆釣でしょう!

⑨

そんな会話が交わされる海の上。

かの声優と根魚釣り師が西伊豆の海で、はしゃいでいるわけです(笑)。

 

おまけに菅原さんのタックルまでお借りしちゃって、1メートルオーバーを含むシイラまで釣らせていただいた。

⑩

そんな刺激的な時間を過ごせるのは本当に至福の時間(とき)だ。

 

私にとって、約束の色が「紫色」ならば―。

⑪

この誓いは男同士の約束。

つまりは「約束の言葉」である。

 

20年後の自分に今は想像はつかないけれども……少しでもその人柄に近づけるよう邁進したいと思う西伊豆釣行でもありました。

⑫

こんな綴りの乱れた長文ブログをご本人に見られたら「ガッ!ハッハッハッ~!!」と大声で笑われそうで仕方ないものであるが、今いちど偉大なる大先輩に改めて感謝を申し上げつつ、そんなちょっと渋い(?)、ダンディーな大人になれるよう、これからも精進したいものです。

約束の色。

夢の続きを見ているようだった。

でも、それは現実に直面している「今」だ。

 

アメリカという異国。

カリフォルニアの大地。

サンディエゴの太陽。

ロサンゼルスの磯。

 

“紫色の約束”をもう一度、果たした瞬間だった。

 

①

ジャイアントケルプの主・キャリコバス。

 

②

そして、メキシコとの国境海域に潜んでいた未知なる大物・バードサンドバス。

 

③

サンディエゴの街中の海でまさかの連発劇に遭遇したスポッテッドサンドバス。

 

“興奮を超えた興奮”のロックフィッシュゲームを心・技・体で表現。

ニッポンのロックフィッシュゲームを外国の海で!

④

かかってこい!

まだ見ぬ、未知なる根魚よ!

⑤

俺は必ず、釣りあげてやる!!

 

冒頭から荒々しい表現で失礼しましたが、まさにこんな心境で挑んだロケが今年放送された夢釣行カリフォルニア編でした。

テレビの放送をご覧頂いた方も多かったことと存じます。

 

 ※

なぜ、紫色なのか。

なぜ、紫色にこだわるのか―?

 

そこには高校時代から続く、ある“約束”があるのです。

男と男の熱い約束。

その主は他の誰でもなく、当時の私自身。

つまり高校生の私と31歳(2014年1月当時)になった私が互いに果たした、夢。

 

少しタイムスリップしますが、それは高校時代。

学校の図書館で見た魚類図鑑に“あの魚”はいました。

ウサギアイナメ。

オスの体色はアイナメとは思えぬ、赤紫色。

全身に電流でも流れるかのごとく、その奇抜な色に衝撃を受けたものです。

「世の中にはこんな色をしたアイナメがいるのか!」と―。

 

それ以来、かのウサギアイナメは憧れの対象として少年の心に深く刻まれたものでした。

このことについては昨年放送されたBS日テレ「夢釣行~一魚一会の旅~・憧れの根魚に再会したい!北海道道東のウサギアイナメ」編でも中心となったテーマであり、その放送前にも自身のブログでも綴りました。

http://www.pros-one.com/blog/?m=201307 

(2013年7月のブログより)

 

更に、話はさかのぼります。

念願叶って、初めて行った北海道は釧路という街でした。

キッカケは釣り雑誌のロケでしたが、北の大地に初めて足を踏み入れた私は当時24歳。

東北からやってきた田舎の若輩者を道東の釧路空港であたたかく出迎えてくれたプロカメラマンさんは私に「北海道」という場所についてや北海道に住む魚のことをよく教えてくれたものでした。

イトウのこと、オショロコマのこと、アメマスのこと…。

山のこと、川のこと、湖のこと、海のこと…。

住まいは札幌、でも実家は釧路。そう!そのカメラマンさんは釧路生まれの方。

 

その翌日、朝4時からフィールドに繰り出した私は全力でウサギアイナメを探しました。

いよいよ北海道ロケがスタートしたんです。

待ちに待ったその瞬間は、朝9時過ぎだったでしょうか。

場所は、釧路港でした。

いつものアイナメとは異なる、アイナメっぽいアタリを捉え、これもいつものことながらの渾身の鬼アワセ!!

当時は今のようにロックフィッシュ専用ロッドなどありませんでした。

8フィートのバスロッド(フリッピンロッド)が軋むように曲り、がむしゃらにリールのハンドルを巻く。

水面に姿をあらわした紫色の魚に、言葉を失い、身体が震えたものです。

それが憧れの「ウサギアイナメ」との初めての出会いです。

 ⑥

⑦

(※2005年10月21日発売の釣り雑誌・地球丸SALTWATER2005年12月号「北方根魚図鑑」より)

 

高校時代、すぐには叶えられなかったけれど、大人になって叶えた夢。

この気持ちをいつまでも大切に想い続けていたこと。

そしてこの瞬間の思い出を「これからも守りたいな」と思ったことが、“紫色の約束”というわけです。

 

私は子供の頃から緑色が好きで、好みの色も決まって緑でした。

それに新しく加わった紫という色は、元から好きだった色ではなく、ある日を境に新しく好きになった、“人の想いがつまった色”。

つまりは、私の「信念の色」です。

 

私の描く、この世界観を何かで表現できないか―。

⑧

それが後の、魂の根魚専用竿「シューティンウェイ」に添えた“彩り”です。

又、自身が初めて手掛けた本(著書)のイメージカラーも、こうした理由あって紫色にしてもらったのです。

 ⑨

この竿や本をリリースした時は東日本大震災で大変だった2011年。

突如として身に降りかかった未曾有の大災害に絶望と失望にかられながらも、歯をくいしばって必死にたどり着いた再起の道。

震災被災地での新メーカー立ち上げなんで、どこにそんなメリットがあるのか?と沢山の人に聞かれました。

確かに自分でも悩みもしました。

しかし、最終的に出した「私」の答えは―。

「人生の終焉を迎えて自分がいざ死ぬとき、あの時やっていれば良かったなぁ~なんて後悔するのはイヤだ。やってダメだったらそれはそれで仕方ないけれど、人生のマイナスになることは決してないし、むしろ、この状況であっても最後まで信念を通したことに対しては誇りを持って安心して死ねる。」

ということでした。

己の最期を自分で想像してみたんです。

 

自分でいうのもなんですが、これが私のDream&Passionの精神ってやつです。

それだけに、この釣り竿にもこの本にもやっぱり特別な想い入れがあります。

 

※、

一昨年の冬、札幌駅の時計店の前を通りかかった時に、ふと目に入ったカラフルな時計。

⑩

色に一目惚し、少ない有り金はたいて買った時計はこの紫色でした。

有り金が少ないなら……今、ここで買わなくてもいいじゃないか?って?

それに今時はネット通販でも気軽に買えるし……。

 

いえ、違います!

それではダメなんです、自分的には。

 

ウサギアイナメは北海道にいる魚。

北海道でその夢を成し遂げたからこそ、この魚と北海道という土地に敬を表して、あの魚の色をイメージした時計も今、ここで思い立った時に買いたかった。

腕時計という、日頃、手にするものだから自身が想う大切な思い出の色であれば、尚のことうれしい。

 

ウサギアイナメという夢を経て、次なる夢を達成すべく、いざアメリカに挑んだ時に腕に巻いたのがこの時計でした。

⑪

番組中にチラッと、この紫色の腕時計が映っていました。

この時、プロデューサーがこう言いました。

「いいじゃんその話。一途過ぎてバカっぽいけど(笑)、それが佐藤文紀の世界なんだよなぁ。」

 

長時間の飛行機移動がそうさせたのかもしれません。

実際にそのシーン(紫色の腕時計に本人だけの特別な意味あり!)が撮影される少し前に、私の大切にしている昔話を事もあろうに番組プロデューサーに私は語り始めていたのです。

だからこそ、このシーンを撮り、「映像」という生涯に残るテレビ作品にも入れてくれたのだと思います。

秒数で言ったら、演出的には“ほんの数秒”に過ぎないけれども私の想いを番組はしっかりと汲んでくれた。

「 一途過ぎてバカっぽいけど(笑)、それが佐藤文紀の世界なんだよなぁ。」というプロデューサーの言葉は私にとって、何よりの褒め言葉になりました。

 

だから、飛行機の中で、これからはじまる海外でのロックフィッシュゲームを前に、「一緒に夢を叶えような!」と心の中にいる高校時代の私にもう一度、語りかけました。

その情熱は叶って、再び、「夢の続き」を無我夢中で追いかけた。

釧路のウサギアイナメからカリフォルニアの根魚達へと引き継がれた夢。

⑫

⑬

そう!それが最終的にキャリコバスの話へと物語は繋がった、というわけです。

 

はい! 「夢」のある「釣」りに「行」ってきたんですよ!

⑭

“紫”の約束と一緒に。

 

言われた言葉ではないけれど、思えば……本当に、一途過ぎてバカっぽいかもしれないけれど、幼少の頃から続く、私の根魚の話は今も脈々と続いているのです。

 

色って、いいですよね。

時に人生さえも大きな影響を与えてくれる。

 

気合いの色だったり、夢の色だったり、癒しの色だったり、あるいはその人の原点の色かもしれない。

 

私なりの紫色のこだわり、分かっていただけましたか?

 

次は、「約束の言葉」編へと続きます。

「Lure Paradise九州」2014年冬号 発売

★プロズワンからのお知らせ★

九州のルアー釣り雑誌「Lure Paradise九州 」2014年冬号(つり人社)が発売されました。

■Present Mountain

ぜひ、ご一読下さいませ。

約束の、約束。

①

神奈川県内のスタジオで進む、DVDの編集作業。

引き続き、続報をお待ちを―。

 

 

毎年クリスマスの日に小田和正さんのライブ「クリスマスの約束」という番組を放送しているのをご存じでしょうか。

一年に一度。クリスマスの日の特別な番組だから、“クリスマスの約束”というタイトルにもその意味合いが表れているのでしょう。

2001年からずっと放送しているのですが、毎年楽しみにしているんです。

遅い時間帯から始まる番組なのですが、眠気を我慢してでも、ついついリアルタイムで観ている自分が毎年います。

思考回路も停止寸前の深夜なのに、胸がこう「カァ~!」と熱くなる、というのですかね。

色々と考えさられるわけです。

 

人の心の深くまで響く声って、凄いなぁ……と毎度ながらに想います。

それは歌声であったり、ただ発した話の声であってもそうですよね。

物を一つ伝達するだけでも、さらっと伝えることも出来れば、粗暴に伝えることも出来るし、大事に、大事に、伝えることも出来る。

ましてや歌声に言葉を乗せて人の心に届けるって、歌手って凄い職種だとも思うのです。

 

そう。「伝え方」って大事ですよね。

そこにその人の人間性というか、感性は顕著に出ますよね。

 

 

ご存じの通り、私は歌い手ではありません。

でも、「書き手」ではあります。

実際に、釣り師として人前(媒体)で魚を釣ってみせるだけでなく、文筆まで自らが携わる作品も多いです。

 

それこそ釣りにまつわる物書きは公の場(メディア)で、19歳だったか…、20歳だったか…の頃から始めましたので、現在で12、13年になります。

本や雑誌、釣りビジョンのモバイルサイトの連載コラム(2008年度から毎週やっているんですよ。)もそうですが、ここで続けているブログでもそんなスタンスで書き綴れれば、と思いつつ、言葉を選び、どんな言葉が伝えやすいのか、伝わりやすいのかと思案しつつも、許す時間の間には出来るだけ丁寧に言葉を運ぶよう心掛けています。

 

 

まぁ、それはさておき。

偏光レンズの契約メーカー「タレックス(TALEX)」社さんより毎年、クリスマスの日にプレゼントをいただくのです。

それもまたクリスマスの約束(?)なのかも、しれません。

②

タレックス特製「TAJIMA CHICKEN CURRY」。

 

大阪の田島に直営のショールームのあるタレックスさん。

TALEXウェブサイト:http://www.talex.co.jp/fishing/index.html (余談ながら、「SALT」の現在のバナーの写真は私がアイナメと格闘しているシーンになっています。)

同サイトに掲載されている私のインタビュー記事はこちら→http://www.talex.co.jp/fishing/category/salt/interview3.html

 

釣りだけでなく、スポーツから日常生活に至るまで幅広いシーンで活躍するタレックスの偏光レンズ。

そんなメーカー直営のショールーム(プロショップ)の横に「TAJIMA COFFEE」というカフェレストランを2年前から開店されています。

そうなんです。タレックスで運営しているお店(↓)なのです。

TAJIMA COFFEEウェブサイト:http://www.talex.co.jp/tajimacoffee/index.html

タレックス社を訪れる際、「佐藤さん、せっかくだから食べていって!」といつもありがたく併設のお店でごちそうなるのですが、そのすべての作り込み度が半端なく、そして美味しい。

提供されるひと品、ひと品の料理のみならず、店の雰囲気やスタッフの気配りなども実に居心地の良い空間なのです。

そんなお店のカレーをクリスマスプレゼントで頂けるのもうれしい限り。

いつもありがとうございます。

大阪は田島の特製カレーの味わい、昨夜は美味しくごちそうになりました。

 

 

本日で御用納め(仕事納め)という皆さんも多いことと存じます。

どうか有意義な年末年始をお過ごしください。

 

 

今日は夕方から雑誌のインタビュー取材があります。

その(私の)心掛けとして、それがフィールドであろうが、屋内であろうが取材陣への対応クォリティーに差があるものではありませんが、今日の案件は電話対応だけで大丈夫なので、それだけでもありがたいです(笑)。

昨年は30日までロケを…、一昨年は31日まで撮影をしていた覚えがあるからです。

年の瀬の本日26日、不覚にもこのところ帯状疱疹(東北地方の方言では“つづらご”ともいわれるやつです)を患っていることもあり、少しばかり一年の疲れが出てきたのを自認せざるを得ない状況になりましたが、最後の最後まで持前の気力の“惰性”を使って乗り切りたいところです。

 

2014年度の締めの綴りは来週にでも、と考えています。

今少し、こちらの駄文にもおつきあい頂ければ幸いです。