だからこそ、サクラマス。
少なくとも私は知っているー。
雨の日も。
風の日も。
黙って、水辺に立ち続けた者だけが味わえる最高の喜びがあることをー。
誰にだって平等にチャンスは訪れているが、誰にだって“その気配”を機敏に感じ取れるわけではないからこそ、このような「特別な魚」が存在する。
どうあがいても一筋縄にはいかない魚だからこそ、毎年、来るべく季節に全身全霊の想いでぶつかっていける。
それが、サクラマスー。
目先の小さな喜びに終始を求めるものではなく、降りかかる邪念を払い、一心にロッドを振り抜いた者に与えられる春の奇跡。
なにせ、相手は“かのサクラマス”だ。
手にした喜びは、誰だって……もう爆発しそうにもなろう。
そんな痺(しび)れる釣りもまたよろし。
時には、初めて間もない入門者があっさりと手にすることも。=【驚き】
名手をもってして、「今年は釣るのに時間が掛かる」と踏んだものの比較的、短期でうまくいってしまうときも。=【安堵】
達人がどうあがいても、鱒の気配すら感じられないときも。=【不安】
だけれども……
この魚に想いを馳せる誰もがここでは皆、同じ時間を過ごす。
サクラマスが迫る、海・川・湖ではどこか特別な時間枠が流れるものだ。
そんな時、必要に迫られることは…ただ一つ。
決して折れない強い心を。
「だからこそ、サクラマス」。
その一瞬の奇跡に、ヒトは大いに感動しようというもの。
海外勤務が長い釣友がこの日、手にしたサクラマス。
帰国している僅か数週間、サクラマスを釣りに出かけるのが何よりの楽しみ、という。
それでも。
それでも、「マスを釣ってまた旅立つ」と信じた男には大いなる結果が伴う。
出国迫ったラストワン。
「来た!」の掛け声が、にわかに“高い”(笑)。
ランディングを手伝えることも、当人とその喜びを共有しあえるもの。
一緒になって獲る。
この釣りの「いいなぁ~」と思えるところ、です。
私もとてもうれしかったのです。
サクラマス、おめでとうございました!
2016年5月11日 | カテゴリー:その他