サクラマス。報われない情熱の行く先にー。
簡単には釣れない魚の代表的な一種、サクラマス。
色々な意味での難しさを伴うゆえに多くの釣り人が一目置く、憧れの魚だ。
普段は海釣りがほとんどの私にとっても、プライベート釣行においては好きな釣魚の代表格が海と川を行き来するタイプのサケ科魚類。
つまりはサーモンであり、ビッグトラウトがこれに該当するカテゴリーです。
国内種で言えば、イトウ、サクラマス、カラフトマス、アメマスなどが筆頭格。
サツキマスやビワマスなんかもいいですね。
あとは小さな魚ではありますが、オショロコマやミヤベイワナの色彩も好み。
どちらかというと、総体的にサケ科魚類は一生を淡水で過ごすタイプよりかは海と川(湖沼)を行き来する大型遡上魚全般が好き。
大きなマスやサケ、それでいて色の美しい希少性を有する魚に惹かれます。
梅雨入りした6月。
釣友で今シーズンはまだ春遠い2月から4ヶ月間、ひたむきにサクラマスを狙い続けること38回目の釣行を続けるものの今期はまだサクラマスをその手にしていない彼に付き添って釣行。
本人からしたら余計なお世話なのかもしれないが、自分が同行することで些少なりとも釣りの役に立てば、という思いもあったのです。
(実際にはあまり役には立ってないのだろうけれど、笑。)
釣り場に立ったのは早朝4時。
ここは、本流から伝わる支流の更に遡った中流域。
雨後のささ濁りが入り、“釣れるなら今日だ”という日を見繕って予定を立てて望んだ釣行。
朝から「きっと釣れるよ、今日は。 釣ってね(笑)」と伝えておく。
本人には少々プレッシャーに感じたかもしれない。
けれど、相手はあのサクラマスだ。
生半端な気持ちでルアーを漠然と投げているだけでは全く相手にされないだろう、気難しい性格の持ち主である。
サクラマスは、釣りの腕よりも釣るための努力を継続した者がその手に抱ける至高の魚。
サクラマスは初心者だから釣れないということはなく、釣れるべく努力を重ねた人には初心者だろうが釣れるものであるし、釣りのベテランであってもナメて掛かればおそらく釣れる確率は限りなく低いに違いない魚というところが特徴だ。
要は、救いどころがある難しい魚だから、私は気に入っている。
そんな気高いスタンスの魚種特性が自分的にはひどく惹かれるものがあり、長く釣っていても飽きない理由なのだろう。
そもそもサクラマスなんて飽きるほど釣れるものではないから、条件が許す限りはいつまでも本気で追っかけられる魚だとも自分の場合には思っているのです。
けれど溢れんばかりのその情熱もすべてが報われるものではなく、報われない情熱もまたあることを私は知っている。
人生と同じ。
1尾のサクラマスにたどり着くまでに7年間も要した私はそのことをつくづく知っているからだ。
だから今では釣れないで悩める人の気持ちまでよく分かる。
人の気持ちがよく分かる大人になれた。
自分がこの窮地を脱出出来たのはー。
当時そこにあったのは、何が何でも釣ってやるぞ、という少年の心に宿った情熱の炎に過ぎない。
その炎は燃え続けること、あれから25年―。
今月で齢35。
年齢を重ねすぎたいつしかの少年は、今ではこうしてどういうわけか人様の世話までする気になれたのだ。
1尾のサクラマスを「自分の力で釣りあげること」にどんなに大きな喜びがあるものなのかを私はサクラマスに教えてもらった。
現代の若い釣り人諸氏はいかがだろうか?
1尾の魚にたどり着くまでに仮に7年もかかる年月を「妥当」だと考えるか、「長すぎ」てとてもとてもやっていられない、と考えるかー。
むろん私がはじめてサクラマスを狙った10歳、つまり小学4年の頃とは今は世の中は変わっている。
だけど、サクラマスの価値は変わってはいない。
フィールドに立てば、あくまでもサクラマスへ捧げる情熱と己の魚釣りに対するスタンスがそれを決定づける。
川のせせらぎに耳を澄ますこと、2時間。
朝6時を過ぎた頃、釣友はサクラマスを釣りあげた。
魚が掛かって、ややびっくり気味のファイトに焦っていたのが分かったので、すぐにランディングサポートに回った。
自分のタックルはその場に放り投げてでもここは彼の魚を掬(すく)いに行かなくてはと、そう思ったのだ。
川の流れの中を暴れまわるサクラマスはうっすらとピンク色が乗ったいぶし銀の彩りを放ち、実に眩い(まばゆい)ものだった。
私の差し出したランディングネットに収まったサクラマスを目にし、彼は喜びで身体が震えているように見えたのは気のせいか。
やったね!
おめでとう!
控えめな性格の釣友であるが、その雰囲気でひどく興奮しているのが分かった。
それもそうだろう、相手は“こ~んなサクラマス”だもの!
興味のある人、みんなが釣りたい憧れの魚・サクラマスなのです。
2月から狙い続けること4ヶ月半。
今年38回目だという、サクラマス釣行。
彼がこの1尾のために使った時間とお金、体力は他人(ひと)は知るよしもない。
けれど、この1尾が本人の心を開放に導くことは確かだ。
「今日はうまい酒が飲める!」と言っていたのが印象的だった。
憧れの魚を釣ることで得た喜びは…プライスレス。
情熱はいつも報われない。
けれど、心折れずに釣り続けることでいつかその情熱は報われることがある。
自分は昔からこう決めている。
竿は折っても心は折るな、と。
心が折れたら人間、簡単には立ち直れない。
だから釣り竿くらい仮に折れても、それは人生からしたら大したことではないじゃないか。
人間、心が折れたら、もう釣り竿を手にする気力すらなくなってしまうのを自らの経験で知っているからだ。
サクラマスが釣れる人、釣れない人。
最後の最後は、己の気持ちの問題になってくる。
あきらめるのか、あきらめないのか?
それは…タックルや腕よりも大事なこと。
当たり前のことだが、それが一番大事。
釣りの経験は違っても熱量を同じくする釣友とそんな場を共有できたことが私もとても気持ちいい1日だった。
私が取り組んでいるロックフィッシュゲームもまさにそんな釣り。
根魚は海底の宝石であるゆえにー。
この1尾に出会える喜びを熱量同じくするみんなと共有したくていつも海に対峙する。
ロックフィッシュゲームもそんな気品溢れる、誇り高い釣りであり続けられることをいつまでも願って、これからも水辺に立ちたいと想うそんな川時間のひとときでありました。
釣友のサクラマスを掬った後日、私は東シナ海は長崎県の磯に立ち、テレビカメラの前でキジハタを釣った。
おかっぱりのキジハタって正直難しいから、釣れないリスクもつきまどう緊迫のロケ現場。
だけど、積み重ねた経験はどこかで役に立つもの。
東北、北陸、山陰、瀬戸内、九州と各地で積んだキジハタ釣りの経験は、東シナ海のキジハタ釣りにもきちんと通用させることが出来たことはとてもうれしかったものでした。
こちらのワーム(プロト)も大活躍。
デプス×プロズワン デスアダーグラブ4″「ケイムラクリアホログラム」カラー。
キジハタにはUV(ケイムラ=紫外線発光)効きます。
ロケの最中、キジハタとサクラマスが重なって見えたのは本当の話。
キジハタって、妙にサクラマスと情景が重なるんです。
梅雨のリバーウォーク。
サクラマス、改めておめでとうございました!!
2017年7月10日 | カテゴリー:釣行記