ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

往年の名作に語りかける。

冬、去りゆく日本海に沈む夕日の綺麗なこと。

A

明日もまた良いお天気かな。

どうかまた次も、深い釣りに恵まれますように。

と、願いをかけてー。

 

 

 

昨日、東京で桜が開花したと報じていました。

春の息吹は確かに北に向き始めているようです。

 

 

先日、釣り仲間の大先輩から懐かしいお土産を頂きました。

釣りに行った北海道の釣具店をのぞいたら…こんな逸品と巡り会ったと、わざわざ私へのお土産にと買って来て下さったのです。

B

左はパラバン社のサラマンダー16g、右はリョービ社のサクラマススペシャル23g。

 

どちらも、ニッポンのビッグトラウトゲームの歴史を彩る名作中の名作スプーンとして知られています。

イトウやアメマス、サクラマスにカラフトマス、ブラウントラウトにニジマスの大物など…憧れのビッグトラウト達に想いを馳せていた熟練のアングラー世代の方々にはなつかしさを与えてくれる存在ですが、年齢が私よりも若い世代の方々になると釣りを覚え始めた時代背景もまた違うこともあり、きっとこれらは存じあげない方がほとんどだと思います。

 

それは無理もありません。

なので、今日は仮にお若い方でもなんとなく分かるように、ちょっと古いお話をしていきますね。

 

パラバン社は北欧ノルウェーのメーカーで、「サラマンダー」と並ぶ名作中の名作“バッハスペシャル”もまたあまりにも有名です。

昔のルアーは知らなくても、仮に貴方が河や湖でビッグトラウトを狙う釣り人であれば「バッハスペシャル」という言葉の響きは一度や二度は聞いたことがあると思います。

現在、日本で売られているバッハスペシャルは国内メーカーが“ジャパン・スペシャル”としてアレンジしたものを発売しており、こちらもまた名作として広く知られるところです。

元祖バッハスペシャルに比べると、やや泳ぎがマイルドに作られている印象なのが今回ご紹介しているサラマンダー。

まるで兄弟のような存在です。

 

 

もう一つの、サクラマススペシャル。

このスプーンを当時販売していたリョービ社は言わずと知れた、日曜大工でもお馴染みの電動工具メーカーですが、かつては釣具も積極的に展開していました。

現在のシマノ、ダイワの国内最大手2大釣具メーカー同様に総合メーカーとして幅広いジャンルの釣具を展開していたマミヤOPと並んで、空前の釣りブーム時代は大手4大メーカー(シマノ・ダイワ・リョービ、マミヤOP)として名を馳せていた時代に作られていたサクラマス用スプーンのひとつがその名の通り、こちらの「サクラマススペシャル」。

この上記4社は自社でリールを製造販売していたこともあり、旧来の釣り業界トップメーカーとして君臨。

2016年の現在はこの4社のうち、釣具メーカーとしては1歩も2歩も先進的技術を先駆けて開拓し、おしみなく製品に投じていたシマノとダイワ(現グローブライド社)の2社が残ったのみとなっていることも、今では時代の流れを感じます。

 

C

私がサクラマス釣りを始めた少年時代(小学生の頃)は今のようにスプーンにしてもミノーにしても、ルアーの選択肢も多くなく、たいていの相場(選べる範囲)はおのずと決まっていました。

その中でも、ごくごく少ないお金をやり繰りしてなんとか少しずつ買い集めていった歴代のスプーンのうち、子供でも比較的入手しやすかったクロコダイルにクルセイダー、ダンサー、チヌークなどと共にリョービ社のサクラマススペシャルは今でもその記憶に確かに残っています。

私よりも上の世代の方であれば、もっと深い記憶と当時の思い出がきっとあるはずです。

いずれにしても「安定の価格」と「いつもお店に置いてあった」というのが、当時の大人だけでなく子供だった私世代にも手に取りやすかったのでしょう。

 

今回、お土産でいただいたサクラマススペシャル。

10数年ぶりに「パッケージ有」の状態で再会しました。

「23g」というのが、また“通”ですね!(笑)

どうもありがとうございました。

 

 

2016年度の今は、たくさんの優れたスプーンが各社から発売されていて、その選択肢はアングラーそれぞれの自由であり、「品質の安定化」が進んだこのご時世、細かい特性や使い分けは多々あれど、きちんとしたメーカー製のものであればルアーの基本性能の差で思いっきり釣果差が出るほどの優劣もまたない(少ない)時代になったと思います。

言い換えれば時代の流れと共に製品群も次第に今ひとつなモノは自然淘汰されていき、優秀な製品のみが勢揃いしている証。

それでも、本州における河川でのサクラマス釣りに関しては釣れる要素に“時の運”もあるから、場合によっては何が良くて釣れたのか分からない…という場合もあるかもしれません。

D

今回ご紹介しているこの2つの往年の名作ルアーが、2016年度の最新国内フィールド事情からしてどうしても必要な場面というのも正直なところそう多くはないのかもしれません。

しかし、時には思い出に想いを巡らせる良き相棒としてその心の懐に携えるルアーとして有する意義はとても大きく、今回ありがたく頂戴した懐かしの戦士達と再会したとき、昔の記憶がふと蘇ってきてとてもうれしかったのです。

 

そうなんです。

釣れない時代をも共に乗り切った私の中の戦士達。

 

名作は色褪せない。

 

その存在だけで、「サクラマスと自分の歴史」を心の中で一瞬にして開花させてくれるものでした。

今度、こそっと投げてみようかな…。

E

今年もやってきたサクラ咲く季節。

「おめでとうございます!」が合言葉の、めでたい魚。

貴殿の心に、サカナサク季節がまた訪れることを今年も願っています。

 

桜に負けない、釣り人達の笑顔が列島各地で満開に咲き乱れますようにー。

 

海に、河に、湖に、いざ!!

今月の始まりは雪の日から。

3月1日、まだ夜も明けぬ朝5時前。

①

足元に積もる、やわらかい雪の感触。

そう、今月の始まりはこの雪の一日から始まったのだった。

 

今日の道路状況が心配だ。

道を急がねばなるまい。

 

3月初日の仕事の場。

朝一のフライト時間が押し迫る。

 

2月から続く残業が追い打ちをかけたこともあり、あいにく睡眠時間はごく僅か。

眠気抜けきらぬ己の身体が外の寒さでこわばる中、「頼む!目を覚ませ~!」と喝を入れ、今日も一日頑張ろうと上を向く。

 

 

②

暴風雪に伴う欠航に次ぐ欠航に難儀しながらも辿りついた道内は相変わらずのきれいな雪景色を醸し出していました。

洗練された北の都が放つ色彩が雪に反射すると、これがまたとても美しい街並みを引き立ててくれるものです。

 

 

 

後日。

 

③

澄んだ空気に雪化粧の鳥海山が聳える、雪代にじんだ大河の流れ。

目指すは、「たった1尾のサクラマス」。

釣れても、釣れなくても、の……ちょっとの気休み。

でも、この“ひと時”が幸せ~。

 

朝の気温は、もちろん氷点下。

④

釣り糸と糸を通すガイドが寒さで凍ってしまい、その都度に釣りを中断せねばならずー。

川原もご覧の通り、しばし凍りついたまま。

 

魚釣りを知らない人・しない人がこんな光景を目にしたら、「こんな状況で魚が釣れるのだろうか?」という疑念をきっと抱いてしまうことだろう。

もっともその前に、この時期に川に入ってまで魚を釣りたいのか…?と呆れられそうな気も…(笑)。

 

 

それでも、釣り人たちは挫けない。

挫けないのだ。

⑤

渾身のアワセをくれたのは午後になってから。

 

めげずに投げ続けていると、時々にはいいことだって起こるもの。

魚がルアーを襲う、“その一瞬”にすべてを懸けて待ち望んでいたことだ。

 

 

魚釣りでは、仮に釣り竿は折れても己の心だけは折ってはならない。

大きな魚が掛かった時、釣り竿は大きく曲がっても己の信念だけは曲げない。

そう決めているんです。

だから、いざ魚が掛かったら、あとは無我夢中に闘うだけだ。

⑥

春の恵み、サクラマスが釣り師が差し出すネットに収まった。

 

 

 

後日。

 

早いもので明日からお彼岸の入り。

⑦

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、彼岸入りを前に咲いていた梅の花。

あと1ヶ月もすれば、東北地方も桜の季節へ。

 

 

5年目の3月11日というまたひとつの節目を過ぎて、北国にもようやく巡ってきた春の兆し。

 

 

明日からは取材への対応日。

季節の変わり目の年度末、何かと忙しないものですが3月も早いもので半月が過ぎ…残りの半月も全力で切り抜けよう…と気を新たに。

15年後の春の“泥んこ大格闘”。

小学校高学年の頃から自発的に始めたサクラマス釣り。

通えども通えども釣れず、ようやく手に出来たのは18歳。

高校を卒業した春休みのことだった―。

初めてのサクラマス。

ヒットルアーはバスデイ社のシュガーミノー95SP(今は惜しくも絶版)。

色は得意の「金黒オレンジベリー」カラーだった。

糸はナイロン8lb直結に、ランディングネットは自転車で背負ってきた磯ダモで。

私の記憶が正しければ、あれは確か15年前の3月14日のこと。

 

 

15年後の今日、2016年度の3月14日。

昨日、手にしたサクラマスの余韻がまだ頭の中に残る。

型は異なれど、15年前に初サクラマスを獲ったのと同じメーカーのミノーだった。

A

62センチ、3キロオーバーの厚みある魚体。

「ドンッ!!」と、巻いていたリールのハンドルを止められた衝撃と次に弾丸のように走り出したファイトに内心、少しだけドキドキしたというのはまだヒ・ミ・ツにしておこう。

B

〝己の眼”である、偏光グラスはその挙動をずっと視覚で追い続けていた。

 

初めてサクラマスを釣りあげてから、あれから15年もの歳月が経っているのに今でも“たった1尾の魚”に出会いたくて、毎年冷たい春の川や北の海に挑み、真剣にこの魚を追っている自分がいることが、ちょっぴりおかしくてー。

なんだか、ふと笑いそうになってしまう。

 

 

あれから15年後のサクラマスー。

C

現33歳の自分が、1尾のサクラマスと相変わらずに“泥んこの大格闘”に躍起となり、その生命の呼応に全力で応戦する。

私たちが知らない山、川、海の景色を見てきた偉大なる旅人に失礼がないように、それが自分なりの誠意。

 

あの時ー。

雄大な山脈は、きっとそれを見ていたはずだ。

C

今年も少し早い春の季節が、心の中に訪れた。

サクラマス。

その1尾の出会いに、感謝。

5年目の今日を想ふ(う)。

多くの方がご存じのスターダストレビューの名曲のひとつに、「木蓮(もくれん)の涙」があります。

特になんですが、東日本大震災後は毎年、この時期になるとこちらの歌詞に強く惹かれます。

好きな歌はいろいろあるのですが、その中でもスターダストレビューの「木蓮の涙」と「今夜だけきっと」のこの2曲はとりわけ心に染み入り渡ってきたことで以来、益々好きになりました。

 

幅広い年齢層に支持されているスターダストレビューですが、もしこれを読まれている貴方が10代、20代前半くらいまでのお若い年齢の方ですと、世間でいうジェネレーションギャップ等もあるかもしれませんが、ここはひとつ仮に存じあげないという方であっても、これを機に興味が湧いたらよろしければ調べてみてくださいね。

「木蓮の涙」で、調べればきっと歌詞に辿りつけるはずです。

 

①a

東日本大震災。

あれから、5年後の今日。

 

5年、歳を重ねた本日3月11日。

「もう5年」という言い方も出来る一方で「まだ5年」という言い回しも同時に出来るものです。

日本語の言い回しって、本当に奥深く難しいものですね。

 

あの惨劇は今も脳裏とまぶたに焼きついているため、この5年間、心の中ではいつも苦しかったです。

昨夜は当時の「リアル」を思い出し、心臓がトカトカし出して朝方までなかなか眠りにつけませんでした。

 

少し歳を重ねると感傷的になるようで、どうもいけませんね。

①b

ある日突然身に振りかかった未曾有の大災害。

①c

本震後も絶え間なく続く大きな余震にどうすることも出来ずに一人車内で過ごした夜。

不覚にもガソリンがほとんど入ってない状態だったことは、その後も大きな不安材料となりました。

 

2日間をミニバナナ1本でしのぎ、飢えに耐え、寒さに震え、原発爆発事故後の影響多大だったと思われる初期の冷雨に打たれつつ食べ物と飲み物を買うためにお店探しに翻弄したことも、津波の水引かずにチェストハイウェーダーを履いて水が引かない街中を海水かき分けて家まで辿りついたことも生涯決して忘れることはないでしょう。

 

東北の街に押し寄せた3月の海の水。

これまで見たこともない黒い色をした海の水でした。

とても冷たく、気持ち的に生きた心地はしませんでした。

 

気づけば震災後、4日が経過していました。

 

人探しの場に無造作に広がるたくさんの亡骸は目のやり場を失う反面、何も全くつかめない中を全身泥だらけになりながらも希望の光を探し夢見た日々。

この命と引き替えたとしても残る体力はこの際ぜんぶ使い果たしたとしてもいい、当時そんな思いでガレキをかき分け、スコップで体積した分厚いヘドロを掘り起こしたものです。

②

 

この世の終わりかな。

 

地獄絵図ってこれを言うのかな。

 

俺の人生もここまでか(だったら、悔しいな…)。

 

何度も突きつけられる、起こったあまりにも悲しい現実は、自身にとってもこれ以上に耐えようのないものであり、悲痛な苦しみと屈辱を身を持って経験したこともどうかこれがこの人生最後の苦難であってほしいと切に願うものであります。

毎日幸せを感じずとも、普通でいい。

平穏な「普通さ」こそが、実は一番幸せなことなんだ、ということをことごとく痛感しました。

 

この5年間、がむしゃらにでも働いて気を紛らわせていないと、精神的に持たなかったというのも一つだったのかもしれません。

打ち込める何かがなければ、とてもとても、もう無理だったと思います。

 

私たちが愛好している魚釣りは人生を楽しくしてくれる一つではあるものの、極論してしまうとお世辞にも世の中のため、人様のためになるものではありませんが、回り回って結果的に当時、自分の気持ちを救ってくれた存在になってくれたことは今まで長く続けてきたことが結果論として、「ひとつの力」として作用してくれたことはうまく表現はできないのですが、うれしかったです。

気持ち的に救われた。

 

個人的に弱音を吐くのは好きではありませんが、今日は私たちにとっては特別な日。

今日だけは許す、許される、心の毒抜き。

 

 

5年間の全力疾走。

そうですね。そろそろ、少し…疲れてきましたかね。

 

 

心の中ではまだまだ若いつもりでいても、この5年の間に齢も20代から30代となり、仕事上トレードマーク(?)になっていた茶髪の隙間からは微妙に白髪が気になるようになってきたことも認めたくない事実。

でも、それだけ自分も年齢を重ねているという事実はどうしたって、受け入れなければなりません。

 

 

物凄いスピードで迫り来る大津波の難をどうにか乗り越えて生き残った周りの多くは、地元から遠く離れて行った人が多いです。

 

もうこの街には住みたくない。

海を見るのも嫌だ。

気が狂いそうになる。

 

家族を失い、家を失い、職も失い…だから、新天地で人生をやり直す。

海のない場所に移住したい。

今後の人生設計を真剣に考えての決断は、決して間違っているものとは私は思わないです。

 

だから、肯定も否定もしないのです。

 

人、それぞれの事情は違うものであり、それゆえの考え方を尊重したいからです。

 

 

なので地元にいる友人の数よりも、遠方に広く散った友人の数の方が今では多くなったというのも震災を機に起こった事例です。

 

被災地に残る、どことなく気まずい雰囲気は、一時的に被災地に訪れたところでそうヒシヒシと感じるものではないでしょう。

しかし、あの惨劇からずっと今も被災地に残って生活を続けるということは、そう簡単なことではないのが実情です。

 

目にしたくなくても目に入って来る震災のなごりは、憔悴しきった被災者の心を時に更に追い立てることもあれば、街全体を包む暗さに耐えての暮らしから少し離れた時だけに解放される“心の空気の入れ替わり”は、とても心地よく感じらたりもします。

それが例え、一瞬だとしても。

 

 

「元気で。自分はもう少し頑張ってみるよ。」

当時、一人、また一人と去っていく友人たちを見送りながら、精一杯のつもりで自分が発した言葉でした。

 

 

ここでは、あれだけのことが起こったわけですから、最低でも一定の復興までに「10年」はかかると思っています。

それであっても復興には格差がありますから、被災地全域が同時進行で同一というわけにはきっといかないものと推測されます。

 

今はまだ道半ば。

まだ半分(5年)しか経っていません。

 

元々、人口少ない東北地方において近年では過疎化問題は深刻に叫ばれていましたが、少子高齢化という日本社会の波も押し寄せつつある現代において今後の東北地方が歩む道は更に多くの困難が伴っていることは震災後、一気に表面化し加速しつつあります。

市町村機能そのものの規模が縮小し、人口は今後更に少なくなっていくことは避けられない現実として多くの課題を残します。

 

 

釣りをする上で欠かせない「海」という水辺環境がありますが、この存在へもまた震災を機に新しい感情が湧いたことも確かです。

これまで抱いたことのない感情でした。

ただし、このことは海釣りをするうえでプラスには作用しないものであるから、言葉には出さずに、いつも心の奥底に押し込めることで、この気持ちを押し殺すことで平常を維持しようといつも己の中で奮闘してきました。

気を抜くと、わぁ~と一気に溢れ出すしょっぱい滴が自分でも怖いからです。

自分は男ですから。

 

だから、ふと何かの拍子に違和感を感じつつも、それとはまた別に好きだという気持ちもまだ強く残っているから、そこにまた新たな葛藤が生まれていく。

 

海と人との向き合い方の難しさを、まじまじと思い知らされました。

 

人生、難しいなぁ。と考えつつ、巡りめくってやってきた5年後の今日。

 

想いは人それぞれ抱えるものでありますが、人の苦しみにそっと寄り添えるそんな広い心を持った懐の深い大人になりたいなぁ、と誓う2016年の3月11日(金)。

③

啓蟄を過ぎ、緑が芽吹き、虫や春鳥たちも動き出し始めたことを見かけるようになってきたこの頃。

東北も、じきに春の訪れが近づいてきた季節。

 

サカナサク季節も間もなく…ということかー。

 

それにしても、シロザケやサクラマスは凄いなぁ…。

④

⑤

どんな苦難が振りかかっても、身を滅ぼしながらも海の向こうから生まれ育った故郷の川に戻ってくるのですから。

⑥

⑦

全力で命を全うしようとしているあの生き様は、サケマス特有の強さから引き立つ美しさであり、そこにまた魅力を感じさせられるものです。

 

2016年3月11日(金)の東北の空。

⑧

遠く長い時間はかかったとしてもー。

またいつの日か、未来に生きる東北の人々に心の奥底から溢れる笑顔が戻ってくることを切に願うばかりです。

 

 

 

今日ばかりは、どうも気の利いた言葉が思い浮かばずに乱文・散文となってしまいましたが、今日だけはどうかご容赦頂ければ幸いです。

 

来週からはまた元気に、楽しい話題を綴れればと思います。

明日から3月ですね。

2月も本日で最後ですね。

はやいもので、明日からは3月です。

 

3月は、私たち社会人にとっては「年度末」ということもあり、ご当地それぞれにおいて春を象徴する魚たちが海に、川に、湖に、釣り人の熱い挑戦を待っていながらも、年度の変わり目という節目は普段にも増して輪をかけた忙しさゆえに時間に追われることも少なくありません。

それだけに釣りに行きたくても……嗚呼、悔し涙を心の中で流すこともしばしば……。

③

こちらの写真は「冷凍イクラ」ではないです(笑)。

「ロックンビーズソフト」が出来上がってきたばかりの状態です。

大量の粒を袋から取り出して、ピンセットで1粒1粒を検品して振り分けして、更に1枚1枚小分けパッケージにしていきます。

細かく、小さな製品であっても丁寧にお届けしたい。

いつもそんな気持ちです。

 

明日から突入する3月は、巻きジグ「ブルーオリオン」も全色揃って補充分が到着予定です。

パッケージの表面に記されている通り、なにぶんハンドメイドでお作りしているため、一括大量生産が難しい性質の製品なのですが、出来るだけのご要望に最大限にお応えしたく、一人でも多くの方々に行き渡るよう地道に生産に励んでいます。

手作業につき仕上がりまで多少なりともの時間を要するのが難点といえば難点なのですが、それをもってしてでも、このルアーがヒラメやアメマス、サクラマスなどの多くの釣り人が憧れる魚の口元に些少ながらも彩を添えることが出来れば、その釣り人はきっと喜んでくれるのではないかと信じて、発売から間もなく一年を迎えようとしています。

 

バリュープライス製品としてご提供している、お徳用の「クランクシンカーSP」も欠品分は順次3月から生産に取り掛かり、4月にまた入荷予定です。

 

それが完了しましたら、開発に2年以上の歳月を投じたこちらもいよいよです。

④

2015年は年末の忙しいときに自分でもがっかりしてしまうほどひどい風邪で不覚にもダウンしてしまったものの、点滴を受けたら思いのほか早く一時回復したので仕事復帰し、短い正月休みの半分を削った甲斐もあり(後半は再び風邪をこじらせてダウン。(泣))、そこではかどったことも大きく、今はこの段階まで作業が進んでいます。

⑤

2月~6月は隙間なく各製品の生産、荷受け、梱包、検品、出荷が「流れ作業」のごとく続くので時間の余裕のなさに戦々恐々としつつ身構えている状況なのですが、年度の変わり目は誰もが慌ただしい時期につき、そんな中でも身体が持ちこたえてくれれば、と心の中で言い聞かせつつ、今はただただ時間の流れに身を任せているこの頃です。

上の写真ですが時々、雑誌等でご紹介していただいているので“カン”の鋭い方はお気づきかもしれませんが、今作は「青」が印象的なデザインになっています。

 

こちらの方も、もう少ししたら改めてご紹介させてくださいね。

 

 

3月の始まりの明日は、朝一からフライトです。

関係者の皆様へはお会い出来ますこと、楽しみにしております。