ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

約束の色。

夢の続きを見ているようだった。

でも、それは現実に直面している「今」だ。

 

アメリカという異国。

カリフォルニアの大地。

サンディエゴの太陽。

ロサンゼルスの磯。

 

“紫色の約束”をもう一度、果たした瞬間だった。

 

①

ジャイアントケルプの主・キャリコバス。

 

②

そして、メキシコとの国境海域に潜んでいた未知なる大物・バードサンドバス。

 

③

サンディエゴの街中の海でまさかの連発劇に遭遇したスポッテッドサンドバス。

 

“興奮を超えた興奮”のロックフィッシュゲームを心・技・体で表現。

ニッポンのロックフィッシュゲームを外国の海で!

④

かかってこい!

まだ見ぬ、未知なる根魚よ!

⑤

俺は必ず、釣りあげてやる!!

 

冒頭から荒々しい表現で失礼しましたが、まさにこんな心境で挑んだロケが今年放送された夢釣行カリフォルニア編でした。

テレビの放送をご覧頂いた方も多かったことと存じます。

 

 ※

なぜ、紫色なのか。

なぜ、紫色にこだわるのか―?

 

そこには高校時代から続く、ある“約束”があるのです。

男と男の熱い約束。

その主は他の誰でもなく、当時の私自身。

つまり高校生の私と31歳(2014年1月当時)になった私が互いに果たした、夢。

 

少しタイムスリップしますが、それは高校時代。

学校の図書館で見た魚類図鑑に“あの魚”はいました。

ウサギアイナメ。

オスの体色はアイナメとは思えぬ、赤紫色。

全身に電流でも流れるかのごとく、その奇抜な色に衝撃を受けたものです。

「世の中にはこんな色をしたアイナメがいるのか!」と―。

 

それ以来、かのウサギアイナメは憧れの対象として少年の心に深く刻まれたものでした。

このことについては昨年放送されたBS日テレ「夢釣行~一魚一会の旅~・憧れの根魚に再会したい!北海道道東のウサギアイナメ」編でも中心となったテーマであり、その放送前にも自身のブログでも綴りました。

http://www.pros-one.com/blog/?m=201307 

(2013年7月のブログより)

 

更に、話はさかのぼります。

念願叶って、初めて行った北海道は釧路という街でした。

キッカケは釣り雑誌のロケでしたが、北の大地に初めて足を踏み入れた私は当時24歳。

東北からやってきた田舎の若輩者を道東の釧路空港であたたかく出迎えてくれたプロカメラマンさんは私に「北海道」という場所についてや北海道に住む魚のことをよく教えてくれたものでした。

イトウのこと、オショロコマのこと、アメマスのこと…。

山のこと、川のこと、湖のこと、海のこと…。

住まいは札幌、でも実家は釧路。そう!そのカメラマンさんは釧路生まれの方。

 

その翌日、朝4時からフィールドに繰り出した私は全力でウサギアイナメを探しました。

いよいよ北海道ロケがスタートしたんです。

待ちに待ったその瞬間は、朝9時過ぎだったでしょうか。

場所は、釧路港でした。

いつものアイナメとは異なる、アイナメっぽいアタリを捉え、これもいつものことながらの渾身の鬼アワセ!!

当時は今のようにロックフィッシュ専用ロッドなどありませんでした。

8フィートのバスロッド(フリッピンロッド)が軋むように曲り、がむしゃらにリールのハンドルを巻く。

水面に姿をあらわした紫色の魚に、言葉を失い、身体が震えたものです。

それが憧れの「ウサギアイナメ」との初めての出会いです。

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⑦

(※2005年10月21日発売の釣り雑誌・地球丸SALTWATER2005年12月号「北方根魚図鑑」より)

 

高校時代、すぐには叶えられなかったけれど、大人になって叶えた夢。

この気持ちをいつまでも大切に想い続けていたこと。

そしてこの瞬間の思い出を「これからも守りたいな」と思ったことが、“紫色の約束”というわけです。

 

私は子供の頃から緑色が好きで、好みの色も決まって緑でした。

それに新しく加わった紫という色は、元から好きだった色ではなく、ある日を境に新しく好きになった、“人の想いがつまった色”。

つまりは、私の「信念の色」です。

 

私の描く、この世界観を何かで表現できないか―。

⑧

それが後の、魂の根魚専用竿「シューティンウェイ」に添えた“彩り”です。

又、自身が初めて手掛けた本(著書)のイメージカラーも、こうした理由あって紫色にしてもらったのです。

 ⑨

この竿や本をリリースした時は東日本大震災で大変だった2011年。

突如として身に降りかかった未曾有の大災害に絶望と失望にかられながらも、歯をくいしばって必死にたどり着いた再起の道。

震災被災地での新メーカー立ち上げなんで、どこにそんなメリットがあるのか?と沢山の人に聞かれました。

確かに自分でも悩みもしました。

しかし、最終的に出した「私」の答えは―。

「人生の終焉を迎えて自分がいざ死ぬとき、あの時やっていれば良かったなぁ~なんて後悔するのはイヤだ。やってダメだったらそれはそれで仕方ないけれど、人生のマイナスになることは決してないし、むしろ、この状況であっても最後まで信念を通したことに対しては誇りを持って安心して死ねる。」

ということでした。

己の最期を自分で想像してみたんです。

 

自分でいうのもなんですが、これが私のDream&Passionの精神ってやつです。

それだけに、この釣り竿にもこの本にもやっぱり特別な想い入れがあります。

 

※、

一昨年の冬、札幌駅の時計店の前を通りかかった時に、ふと目に入ったカラフルな時計。

⑩

色に一目惚し、少ない有り金はたいて買った時計はこの紫色でした。

有り金が少ないなら……今、ここで買わなくてもいいじゃないか?って?

それに今時はネット通販でも気軽に買えるし……。

 

いえ、違います!

それではダメなんです、自分的には。

 

ウサギアイナメは北海道にいる魚。

北海道でその夢を成し遂げたからこそ、この魚と北海道という土地に敬を表して、あの魚の色をイメージした時計も今、ここで思い立った時に買いたかった。

腕時計という、日頃、手にするものだから自身が想う大切な思い出の色であれば、尚のことうれしい。

 

ウサギアイナメという夢を経て、次なる夢を達成すべく、いざアメリカに挑んだ時に腕に巻いたのがこの時計でした。

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番組中にチラッと、この紫色の腕時計が映っていました。

この時、プロデューサーがこう言いました。

「いいじゃんその話。一途過ぎてバカっぽいけど(笑)、それが佐藤文紀の世界なんだよなぁ。」

 

長時間の飛行機移動がそうさせたのかもしれません。

実際にそのシーン(紫色の腕時計に本人だけの特別な意味あり!)が撮影される少し前に、私の大切にしている昔話を事もあろうに番組プロデューサーに私は語り始めていたのです。

だからこそ、このシーンを撮り、「映像」という生涯に残るテレビ作品にも入れてくれたのだと思います。

秒数で言ったら、演出的には“ほんの数秒”に過ぎないけれども私の想いを番組はしっかりと汲んでくれた。

「 一途過ぎてバカっぽいけど(笑)、それが佐藤文紀の世界なんだよなぁ。」というプロデューサーの言葉は私にとって、何よりの褒め言葉になりました。

 

だから、飛行機の中で、これからはじまる海外でのロックフィッシュゲームを前に、「一緒に夢を叶えような!」と心の中にいる高校時代の私にもう一度、語りかけました。

その情熱は叶って、再び、「夢の続き」を無我夢中で追いかけた。

釧路のウサギアイナメからカリフォルニアの根魚達へと引き継がれた夢。

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⑬

そう!それが最終的にキャリコバスの話へと物語は繋がった、というわけです。

 

はい! 「夢」のある「釣」りに「行」ってきたんですよ!

⑭

“紫”の約束と一緒に。

 

言われた言葉ではないけれど、思えば……本当に、一途過ぎてバカっぽいかもしれないけれど、幼少の頃から続く、私の根魚の話は今も脈々と続いているのです。

 

色って、いいですよね。

時に人生さえも大きな影響を与えてくれる。

 

気合いの色だったり、夢の色だったり、癒しの色だったり、あるいはその人の原点の色かもしれない。

 

私なりの紫色のこだわり、分かっていただけましたか?

 

次は、「約束の言葉」編へと続きます。