復興願う、浜の血筋
震災後、ようやく携帯の規制が緩和されると同時にひっきりなしに鳴り出す着信の嵐。その合間を縫ってこちらからも早急に連絡を取ったのは、宮城・岩手沿岸ご在住のゆかりのある船頭さん達だ。その中でも皆さんもご存じなのが、アイナメUNDER WATERシリーズの制作に尽力頂いた方々だろう。
宮城県牡鹿半島を舞台とした「アイナメUNDER WATER」の勝進丸船長・菊地柾彦さん、岩手県重茂半島を舞台とした「アイナメUNDER WATERⅡ」のさくら丸船長・木川信保さん、勢運丸船長・佐藤浩樹さんの3人の名船長達もご家族と共にご無事であったのは何よりだった。
菊地さんの「佐藤君、生きてだがっ!?」の第一声にはたまらなくうれしかったし、木川さん、佐藤さんに関しては地震後すぐに二人同時に沖出しし重茂沖の湾口100mラインで迫り来る津波を乗り越え、危機一髪で難を逃れた…と当時の状況を詳しくお話頂けた。この時、二人から3、4分遅れで沖出しした船は残念ながら共に戻ることが叶わなかったという…。
今回の大津波は東日本~北日本太平洋側沿岸の広範囲において甚大な被害をもたらしたが、その中でも岩手県重茂半島では時速115kmものスピードで、国内観測史上最大値となる38.9mの高さまで津波が駆け上がったとの報告がされている。海の水が約40m上まで駆け上っていくなど、まさに想像を絶する。木川さんのご自宅は、修復工事が完了してそれほど間もない重茂漁港の防波堤をも越えてきた大津波によって流され、仮設住宅が建つまでは今もなお不便な避難所生活を強いられている。それでも電話の向こうで「サド~さん、まだ重茂の海でおっきいアブラメ(=アイナメ)釣っぺし!!」と力強い再起の口調には、ただただ心が打たれた。
心身共にこれだけの被害を受けているのにも関わらず、海に生きる者達にとっての居場所ともいうか、帰る所は、やはり海なのだな…とつくづく痛感した。
四方を海に囲まれた島国・日本において、太古の昔から魚民がそうしてきたように浜の人間に宿る“血筋”とはこういうことなのだ。
人知を結集し投じられる防波堤や防潮堤が、迫り来る黒い魔物に成すすべなく粉砕し、集落ごと呑まれた三陸沿岸の被害の大きさは今も尚、計り知れない。これから復興までには長く、果てしない時間と労力を要する。しかし「三陸」が三陸たる由縁は、やはりその海にあるのも周知の事実。
再開し出したスーパーの鮮魚コーナーや魚屋から“三陸産”の魚介類が消えた今、改めてこの海からどれだけの恩恵を受けていたのか、痛いほどに私達は思い知った。
暖流と寒流がぶつかる三陸の魚はうまい。本当に旨い。
小さい頃から慣れ親しんだ味は、いくつになっても忘れないもの。
海に生きる者達が再び海を目指した時、私も彼らと共にこの海に戻る。
…また一緒に釣りしましょうよ、船頭さん達。
でっけぇ~ネウとボイジョば釣っぺし。アブラメも、ばんばが釣っぺし。
群青色に光り輝く、俺達のこの海で。
2011年4月28日 | カテゴリー:その他