なぎさの向こうに。(1)
昨年5月から自発的に始めた水辺の清掃。ガレキと共に多くの流れものが市街地にも到達し、そのままになっていた。ゴミといってしまえば、それまでだが、その中には人々の日常に溢れる思い出の品も無数に存在していた。
津波の勢いで流されてきた海の魚・川の魚も同じこと。脅威としか言いようのない、凄まじい水の力で運ばれてきた当初は生きていたでろう命もそこで死に絶え、放置され、腐敗し、ウジがわき異臭を放っている状況を見かねて、自分たちが何とかしなければ…の一心で賛同者を募り、この1年2ヶ月に渡り、定期的に水辺の清掃ボランティア活動を展開してきた。
当ブログではこの活動についても書き綴っているが、私達が最初に集めた災害ゴミの多くは運河沿いや川沿いに津波で流れ着いた魚の死骸やガレキ、大型ゴミなど津波そのものの生々しいものが多かった。
詳しくは下記を参照して頂ければ幸いである。
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110514
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110517
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110613
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110703
日本中、そして世界中から寄せられた皆様の優しさと心は様々な形として私達・被災地に届いた。
本当にありがたく、このご恩は決して生涯忘れることはありません。
明日を生き延びるための水や食べ物の確保さえ難しかった震災当初は、炊き出しや食料の配給など物資の援助という形から始まった奉仕の心だったが、震災の行く末が次第に広がりを見せ、求められるニーズの多様化によって現在では個々のボランティア展開も大きく変化していった。
軒並みに仮設住宅が連立し、とりあえずは人々の最低限の身寄りだけは確保されるに至った今日。奉仕の場は、より多様化し専門性を求められる段階へと差し掛かった。家族と生き別れ、身寄りのなくなった仮設住宅に住むお年寄りの孤立を防ぐための交流活動に、身体の不自由な方々の介護、痛ましく傷ついた心のケアなどは、その分野の専門家の力を必要とするケースも目立っている。むしろ今後はこういった課題への取り組み方がひどく問われるに違いない。
あの日から1年2ヶ月が経過し、人々が行き交う街並みに関しては最低限の“見た目”だけは元に戻ってきたように見える。が、しかし、本当の復興は今からが正念場だ。
多くの方々が亡くなったことで必然的に人口は減り、更に県内外へと脱出した流失人口の分を含めれば、街の機能がどこまで回復できるのか、将来的に再びここにコミュニティーが形成されるかどうかも難しい問題に直面している。
いつの日も夢と希望をもって人生を送りたい。そして、楽しく―。
生き物である人間にも寿命というものがある。一度きりの人生。お先真っ暗な未来など誰ひとり望む者はいないが、事態は必ずしも明るい未来に転がるとは限らないのが世の中に思える。それほど東日本大震災という出来事は近代日本の歴史を根底から覆してしまいかねない深刻な出来事になってしまった。
宮城県石巻市に長浜(ながはま)という海岸がある。
この砂浜は湾内に位置しているため、外洋に面した場所のような荒々しさはなく、英文字の「Surf=サーフ」というよりは日本語の“なぎさ”(渚)の表現の方が私的にはしっくりとくる。
長らく釣り人生を送っていると、人さまよりも五感が敏感になるようで、特に目(動体視力)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)はかなり効くようになる。
なので、小さな音でも耳に入る性質ゆえに「ザッパ~ン!!」という波高の大きな荒波が繰り返し押し寄せる砂浜だと、身体と心が過剰に恐怖感を感じてしまうため、そういった場所は旧来から釣り場としてのみならず個人的にもあまり好みではなかったが、この穏やかで優しい波の音がする長浜は昔から好きな浜で、釣りをする・しないに関係なく海を眺めているだけで落ち着ける場所の一つだった。
次回へ続く。
2012年7月21日 | カテゴリー:その他