なぎさの向こうに。(4)
燃えるゴミ、燃えないゴミ、空き缶、空き瓶、ペットボトル…。
集めたゴミはしっかりと種類ごとに分けて、私が責任持って引き取り、後日、私がゴミ出しした。集めたゴミは置いて帰るわけにはいかない。最後まで自分たちで責任持って処分しなくてはならない。
集めたペットボトルは一つずつキャップを取り、ラベルまで剥してようやく作業が完了する。
この日は風が強く、天気は良いが巻き上がった砂が“砂嵐”のようにときどき顔にかかる。
風が強いせいで、限界に達するような暑さを感じず、もくもくと作業にあたった。
朝から夕方までやれば、その量もそれなりに集まり、軽トラックの荷台2台分。
長い時間、砂浜で作業していると、さすがに足腰もクタクタになった。
1年2ヶ月に渡り、おこなってきた水辺の清掃活動もこれをもって最終回。
私の一言から始まったクリーン作戦であるが、県内各地にとどまらず岩手県や茨城県、千葉県など遠方からも駆けつけ協力してくれた仲間達には改めて感謝申し上げたい。
その集めたゴミの総量はかなりのトン数に値すると思うが、それでも私達の集めたゴミ・ガレキの量は津波被災地全体の量からみれば、本当に微々たる量に過ぎない。
それでも「やらないよりマシ」、「やろうと思った人間がやる」と言い聞かせながら展開したこの活動は意義のあるものだったと思う。
私の知る限り、この石巻という海の街は、とてもきれいな港町だった。
北海道に行ってもそう。沖縄に行ってもそう。自慢の街だった。
東京や大阪、札幌みたいな大都市ではないから、「海」の要素を外してしまえば、正直、若い人たちにとってはあまり魅力を感じない部分もあるかもしれない。いい場所だが、典型的な東北地方のいち田舎町である。
仮に私がまったく釣りとは無縁の人生を送っていたら、高校か大学を卒業したあたりで、もっと都会に出て行ったかもしれない。田舎にはお盆と正月だけ戻ればいいやって―。
ちょくちょく行く機会がある上記に挙げた3都市からしたら、東北最大の都市と称される仙台市だって東北では一番発展しているというだけであって、「都会」という部類には入らないことは私でも分かる。だけど、重複させてもらうが、この場所には本当にいい海が広がっているんだ。
私は釣り人。
海の人である。
職種柄、色々な海に行っているため勝手知ったるこの石巻・牡鹿半島の海では心底ワクワクする時代は過ぎてしまったが、それ以上に今は安心するというか、落ち着く場所になった。地元って、こういうことなんだと。
だから、この生まれ育った海の街は最高の居場所だったことに早々に気付けたからこそ、今もここに残っている。
旅先で自分が初めて目の当たりにする場所に行っても自分の街を、多少なりとも我が街を“誇れる”部分は今も変わらない。
左に牡鹿半島、右に石巻漁港、正面に田代島が見える長浜海岸。
豊かな海はあの日を境に悲しみの海となってしまったが、いつの日かこの場所にも再び人々が自然と集まれるような、笑顔の絶えない海として「復活」してくれることを心底願っている。
行政の対応もなかなか進んでいない様子に見るに見かねて始めた清掃ボランティア活動であるが、忙しい中、汗だくになりながら、時には寒さの中、お付き合い頂いた同志の皆さんには改めて感謝・御礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
この日―。市の職員と思われる方々が遊泳禁止の看板を立てて行った。
目があったので挨拶すると、「作業、ありがとうございます」と丁寧に返され、なんだか恐縮してしまった。いつもならこの時期は楽しい海水浴場になっていた長浜海岸。
5年後、10年後、いや…それ以上先になるかもしれないが、いつの日かこの長浜海岸が限りなく元通りになった時には、またあの頃のように夏の砂浜からコチ釣り、夜の堤防からハモ釣りが出来るようになる日がくることを今から楽しみにしていたい。
その時はもっと心に余裕を持って―。
清掃作業の始まりと終わりには清酒と塩でお清めを。
始まりは、津波犠牲者の方々に「ここでゴミ拾いをさせて下さいね」とご挨拶。
終わりには「どうもありがとうございました。」と作業報告と鎮魂の祈りを。
見える風景は一変したが、心地よく吹き抜ける潮風はいつもと変わらない。
子供の頃から感じてきた、“なぎさ”の風だ。
私の大好きな青い空に碧い海。
季節は文月。
そう!
時は、海の季節真っ盛りである。
「なぎさの向こうに。 完」
2012年7月24日 | カテゴリー:その他